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国木田独歩(著)『忘れえぬ人々』を読む。


世の中には色々な種類の小説があります。私も最初は三浦綾子のキリスト教的誠実さと強靭さに憧れて読んだこともありました。つまり主人公が強い意志で人生を切り開いていく物語です。しかし、それでは物足らなく感じるようになりました。私はあまりサスペンスや推理小説を読まないので、どうしても純文学になってしまいます。外国の小説、特にロシア文学を読み続けたこともあります。しかし長編が続くと少し息苦しくなって、何冊も続けて読むことができなくなってしまいます。

そこで、現在は明治初期、二十年くらいの小説を読み始めてみました。その代表が国木田独歩です。

明治維新からわずか二十年しか経過していないのに、もうイギリスの詩人ワーズワースの詩が翻訳され、国木田独歩の小説の中でも原文(英文)で紹介されているのには驚かされました。

現代の人たちがいかに学ぶ時間を作りだしていないのか、本を読む時間を生み出していないのか、大切なことを後回しにして目先のことばかりに懸命になっているのだなあと思いました。

国木田独歩はこのワーズワースやツルゲーネフの影響受けています。どのような影響を受けているのか。それは自然を敬い人を愛する……それはまさしく西郷隆盛の「敬天愛人」なのです。

ああ、そうか!西郷の流れを引き継いでいるのかもしれないと思うと、この文章を書きつつうれしくなりました。

自然を敬うとはどのようなことか……。それは国木田独歩の代表作である短編『武蔵野』を読んでみれば、感じがわかります。恵み豊かな自然の姿が美しい日本語で描かれています。

人を愛すとはどんなことか……。それがこの『忘れえぬ人々』のテーマです。

皆さんには「忘れえぬ人」っていますか?

中学の頃だったか、屋上に呼び出されたときに「下っ腹に力を入れておけば、少々パンチを受けても大丈夫」と教えてくれた男の子。名前さえ忘れたが、今あの子はどうしているんだろう。

大学生の頃、バス停を二つも三つも乗り越して、その女の子が降りるまでバスに乗り続けた。あの娘はどうしているだろう。

忘れえぬ人とはこのような「ふとした時に思い出す人」のことです。

いつも身近にいるわけでもない。とてもお世話になった人でもない。しかし忘れることができない不思議な人がいます。その人のことを忘れてしまっても別に何の支障もないのですが、不思議にふと思い出します。

一人でいる時とか、散歩する時、そんな時にふと浮かぶ人の顔や姿は、私の人生にどんな影響与え続けているのでしょう。

人生とはこんなにも微妙で不思議なものなんだなあと思える名著です。

この本自体が「忘れえぬ本」になりました。


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