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『万葉集』を読む (萩の花)

言葉というものは、不思議なものだ。

それが誰かが言った言葉でも、あるいは古(いのしえ)からの書き言葉でも、「今の自分に響く言葉」というものが、突然に目の前に現れることがある。

言葉は、つまり、その人だけのものなのだ。

万葉集にはそんな珠玉の言葉がたくさんある。ふとした囁きにこそ真実は宿る。

最後には大納言までなった大伴旅人(大友家持の父)が731年に67歳で亡くなる直前に、身の回りの世話をしていた余明軍(よのみょうぐん)という人が作った歌。(455番)

如是耳  有家類物乎  芽子花  咲而有哉跡  問之君波母
かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも

「かくのみにありける」とは読み手によりいろいろな感じ方があるだろう。

人の一生とはこのようにはかないものであるのに・・
この方の人生を思うと、こうでしか生きられなかっただろうに・・
ここでこの時に亡くなるような運命であったのかもしれないが・・


それにしてもだ。
「萩の花 咲きてありやと 問ひ」ているのは、それは、人というものの宿命を感じる。

人の本質とは「生きていく」ということだろう。

たったひとりでもこの歌を見つけ、そう感じるなら、大伴旅人の最期と余明軍の嘆きは、1300年の時空を超えて、今に生きる。



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文字を媒体にしたものはnoteに集中させるため



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