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マリオ・バルガス・リョサ(著)『密林の語り部』を読む。

ノーベル文学賞を受賞した作家の作品を読む機会は、意識的に作らない限り、なかなか得ることができない。

日本の受賞者、川端康成、大江健三郎両氏の小説を読む機会も少ないのであるから、世界の受賞者の作品を読むことは貴重な経験である。

そんな中、ペルーのノーベル文学賞の作家マリオ・バルガス・リョサの作品『密林の語り部』を読んだ。

この作家、とても縁遠い人のように思えるが、そうでもなく、1990年にはペルーの大統領選に出馬し、決選投票でアルベルト・フジモリ氏に敗れるという経歴もあるので、まんざら日本に全く関係のない作者でもない。

この『密林の語り部』は独特な小説だ。作家が意識的に実験的な試みの小説の組み立て方を使用しているので、慣れるまでにちょっと時間がかかるが、ああ、こんな構造の小説なのかと思えばスムーズに読み進めることができる。

物語はペルーの奥地、アマゾンのジャングルの先住民族に関する話だ。アマゾンの先住民族はスペイン人がペルーにやってくるまでは自然を敬い、独特な文化を持つ生活をしていた。スペイン人がゴム園を造成して、先住民族の人たちを酷使しはじめたあたりから、恐怖におびえた人々はアマゾンの奥地に逃げ込んだのだった。

逃げ込むのであるから集団ではない。十名前後の家族のグループであっただろう。同じ民族でもこれらのグループがアマゾンのいたることろに散り散りになり、文化や言語、風習、神話や民話はどんどんすたれていく。

しかし、彼らには「語り部」が存在する。これらのグループを巡回し、この民族が大切にしている神話や各地の情報などを伝え歩いている。

そのような、「密林の語り部」の話であるが、そこには大きな秘密があった。この秘密とは何か。この小説の全編を通してこの秘密の解明が進むのである。

私はこの小説を読みながら、北海道のアイヌの人たちを何回も思い出した。

アイヌの人たちはもう純粋な人たちは存在していないくらいに民族としては滅びてしまっている。それは北海道はアマゾンのように広くはないからだ。しかし、アマゾンにはいまだに先住民族の人たちが裸のまま生活している。つまり経済の攻撃、宗教の侵略を逃れて奥地、奥地へと入っていくことができたのだ。アマゾンの深さに助けられた。

彼ら先住民族の人たちに服を着せ、学校に通わせ、キリスト教を教えることが本当に正しいことなのか。この本の主要なテーマはそこである。

アマゾンの密林で、この語り部は、民族だけに伝わる神話や死後の世界のことを、散りじりになった民族のために語る。

先住民族の人々は、決してこの語り部のことは他には語らず、守り通す。

つまり彼ら先住民族の人たちが守り通しているのは、神話や風習ではなく、この「語り部」という人物なのである。言葉がなくなれば人はたぶん、人としての生きる意味を失くし、誇りを失くし、死んでいくだろう。

アマゾンの先住民族は極めて脆弱だ。なぜなら彼らにとって死とは「いつも身近にいることのできる存在になれること」なので、死を厭わない。だからこそ、貴重なのだ。

そのような先住民族の風土・風習を衰退させずに、存続させる役目を担っている、語り部の正体は……。



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