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『万葉集』を読む (幸せ)

同じ場所で同じ時間を過ごすということは、同じ物を見るということでしょう。物は、それを見ている人たちの時間と空間を、香り高いものにしてくれます。

万葉集の第3番目の長歌と反歌は、絶品です。

登場人物は、舒明天皇。中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)の父親です。歌を作った人は諸説ありますが、妻の宝姫王(たからのひめみこ)のちの皇極天皇としましょう。

妻の宝姫王と舒明天皇がふたりで静かな時間を過ごしています。舒明天皇はお気に入りの形の良い梓弓を、撫ぜたりそばに置いて眺めたりしています。宝姫王はそのお姿を見ながら、幸せを感じています。「やすみしし」は君の枕詞。

やすみしし 我が大君の
朝には 取り撫でたまひ
夕には い寄り立たしし
御執らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり
朝猟に今立たすらし 夕猟に 今立たすらし
御執らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の音すなり

(私の解釈)
この国を見守っているわが君が、朝には手にとって撫ぜたり、夕には傍に立てて眺めたりしているお気に入りの梓弓……その弓の中程に君が添えた、飾りの鈴の音が聞こえます……朝の狩に持っていくのでしょう、夕方の狩にも持っていくのでしょう……鈴の音が聞こえます。わが君が、あのようにお気に入りの梓弓の、鈴の音が……


実は中弭(なかはず)という言葉の意味にも諸説ありますが、その一つの、弓の中程の鈴にしてみました。音の繰り返しが、その長歌の良さですから。
それにしても子どものように弓を愛でる天皇、その姿に幸せを感じる皇后。



皇后は次のような反歌も作りました。「たまきわる」も枕詞。

たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの

(私の解釈)
朝のぴんと張った空気に包まれた、宇智の大野に馬を並べて、朝露を含む草野を踏みしめながら狩りをする君よ……その深い草野よ……

「朝踏ますらむその草深野」という言葉で表した宝姫王の「幸せ感」は、深い草と、君が踏む音と、あの梓弓が、生み出すものです。




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