『北村透谷選集』を読む。
内部生命論(青空文庫)
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私の場合、この本がどういう理由で今自分の手元にあるのか、いつ購入したのか分からなくなることがある。ネットや雑誌で読んだ本のタイトルや著者に共感して購入したのであろうが、それがわからないのだ。ある日突然、書棚にある本に目が行き、読み始める。読み進めると面白くなる。つまり本と言うものは偶然の妙の産物なのだなと思える。
今『北村透谷選集』を読んでいる。1冊の文庫本であるが、日清戦争の前の時代の文章であるから、正直、同じ日本語なのだろうかと思えるぐらい難しいが、逆に日本語の奥深さ、一つ一つの言葉の持つ宝石のような輝きを感じる。明治初期の時代、わずか20歳を過ぎたばかりの青年が、どのようにしてこれだけの知識欲と考察力を得ることができたのだろう。
北村透谷は25歳で夭折した。自死だった。日清戦争の2ヶ月前のことである。透谷が10代の頃から書き始めたとしても、5~6年の期間の作品である。現代でもその名を聞いたことがない人が少ないのであるから、いかに強烈な思想と文章だったかがわかる。
想像してほしい。1890年代、政治や経済の矛盾、そこから派生する格差、訴え続ける気力、恋愛こそが人生の秘密の鍵であると書く青春性……。
彼は書く。
過去の勢力と外来の勢力とが、勢を較して、陣前馬頻りに嘶くの声を聞く、戦士の意気甚だ昂揚して、而して民衆は就く所を失へるが如き観なきにあらず
常に手元に置いて一行一行時間をかけて読み、エネルギーの源泉とする。透谷の文が私たちに与える情熱は現代に生きる私たちにとって、生き進むための熱源となるであろう。
透谷といえば文学界での革新児のような見方が多いが、私たちが彼の文章を読む理由は、そうではなく、彼の生きた時代と現代の共通性を見い出し、私たちが現代に生きる革新児として生まれ変わるための熱流として、常に彼の文に接すべきであろう。
革新とは熱量であることを、時代はもう忘れてしまったのだろうか。人民の熱量のなさが、いかにこの社会を悪意にあふれたものにしてしまう様子は、今の世を見れば誰でも明らかである。
透谷が死して120年後の世に与える影響を肌で感じる。一文一文をじっくりと読んでもらいたい。明治出身初期の青年の息遣いが私たちの肌を打つ。
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文字を媒体にしたものはnoteに集中させるため
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