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『万葉集』を読む (執念)

大津皇子と言えば、孝徳天皇の皇子、有間皇子とともに万葉集の時代の「悲劇のヒーロー」でいわゆる歴女たちに人気があるが、大津皇子の方はどうもその方向が変化してきているようだ。

次の説明は大津皇子のライバル、草壁皇子をひいき目に書いてみましたが、みなさんはどう思いますか?

>大津皇子
父:天武天皇
母:天智天皇の皇女、大田皇女、草壁皇子の母(持統天皇)の姉
大津皇子が4歳の時に母が亡くなる。
姉:大来皇女、伊勢神宮初代斎王
性格は頭脳明晰、幼い時は本を読み、青年期は武術に秀でる。物事にこだわらず、自分の道を行く。細かい心遣いもあり、人々から人気がある。

>草壁皇子
父:天武天皇
母:天智天皇の皇女、鵜野讃良皇后(後の持統天皇)
ひとり息子
性格は病弱で、優しい、気弱で線が細い。思い悩む方。そのため皇太子ではあったが、次期天皇というには人気がない。気丈夫な母(後の持統天皇)のひとり息子なので、今でいうマザコンのような……

さて、万葉集にはこの2人の歌がある。

>大津皇子(109番)
大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し

(持統天皇が関係して(?)大津皇子を陥れようと)大船の津守という人が占ったところ、(私が)若い女性(草壁皇子の思う人)と付き合っていると出た。

大船の津守めが占ったと皆に言っているようだが、まさしくその子と一晩過ごしたのだよ。


>草壁皇子(110番)
大名児(おほなこ)を彼方(をちかた)野辺に刈る萱(かや)の束(つか)のあひだも我忘れめや

大名児(おほなこ)というのがこの女性の名。

遠い向うの方の野辺で萱を刈る、その握ったひと束の「束の間」も、君を忘れない。

このふたつの歌に大津皇子と草壁皇子の性格がよく出ている。



万葉集には草壁皇子の短歌はわずかに1首だけ。どうですか……

遠く彼方の野辺を浮かべ、そこで萱(かや)を刈る人の手元、その握ったひと束、その「束の間」も貴女を忘れない……

と歌う、草壁皇子の方が最近は人気が出てきているのです。


大津皇子は 686年10月25日、24歳で謀反の疑いで、自邸にて自害した。

草壁皇子は(私の想像では)大津皇子が亡くなったのは私のせいだと思い悩み、さらにはそのような世が嫌になり、病床に伏せるようになって、ついにその2年後の689年5月7日に病死した(28歳)。

万葉集が描く、人間模様……

持統天皇は(草壁皇子の子=孫)の軽皇子を天皇(文武天皇)にした。

有名な聖武天皇は文武天皇の第一皇子。

持統天皇の執念……

持統天皇がすべてをやり終えて、ゆったりした気持ちで詠んだ歌。

春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山


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文字を媒体にしたものはnoteに集中させるため
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