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第5回 短歌読書会――穂村弘『短歌という爆弾』小学館文庫.


今回の読書会のページは、穂村弘がメールレッスンと称した短歌のレッスンを行なった際のやり取りが載っている。議事録では主に穂村弘のメールレッスンでの指導の要点を抜粋していく。

1 製造法――「想い」を形にするためのレッスン

穂村弘(2021)『短歌という爆弾』小学館文庫より(以下引用元省略)

メールレッスン 1999、くそ暑い夏にはじまる 穂村弘×神谷きよみ(p54)

このコーナーでは、電子メールのやり取りによって短歌のレッスンを行う。単なる言葉の添削ではなく〈心の文法〉を考えながら進めたい。


レッスン1:手をつなぎ井戸を探しにゆきました東へ西へホーミー吹いて(p55)

・夢の中なりのリアルさが欲しい
「東へ西へ」:オートマティック、「東へ西へホーミー吹いて」:リズムはいいが前後を入れ替えたほうがふらふらと夢の中をさまよう感じが強くなる
手をつなぎ井戸を探しにゆきましたホーミー吹いて南へ西へ

オートマティックにしすぎないこと、違和感を味に。


レッスン2:駅員くん決してきみは謝るなグリコパピコを分け合う夜も(p60)

ポイントは〈私〉の感情が見えてこないことだと思います。どういう気持ちで「駅員くん」に「謝るな」と呼びかけているのかがみえにくい。(中略)
それからもう一点、「グリコパピコを分け合う」のは誰と誰なんだろう。

改作の方向としては「グリコパピコ」ははっきり〈私〉と恋人が分け合うことにして、孤独な駅員との対比をみせる手がありますね。
駅員が線路を走る 僕たちがグリコパピコ分け合う夜に
駅員は線路で泣いた 僕たちがグリコパピコ分け合う夜に
(中略)さらにちょっとした遊びを加えてみます。
駅員は線路で泣いた 僕たちがグリコ/パピコ分け合う夜に

コト:/(スラッシュ)という表現は凄い。”短歌は自由なものだが、制限があることでより表現の豊かさが出る”といったことを誰かが言っていたのを思い出す
ひな:文字を記号としても扱い、表現の幅にしているのが面白くて良い

ひな:"駅員が線路で-"の表現に違和感。駅員が理不尽なことに謝らなければならない孤独な場面を表現するのに、”ホームで”ならわかるけど、線路で泣く、線路を走るって表現だと何を表現したいのかが分かりにくい気がする。
コト:線路っていう表現は方向を表していて、”僕たち”に対して交わらないラインにいることを指しているから対比が強調するのでは。


レッスン3:恋人が恋人の恋人と住む丘には風は吹かないのです(p69)

「恋人が恋人の恋人と住む丘」:おとぎ話のようで、でも不思議にリアル。
「こいびとが/こいびとのこい/びととすむ」:五七五となる上句のいわゆる句またがりも巧く決まってます。
(中略)上句のフレーズを生かすにはどうすればいいだろう。
恋人が恋人の恋人と住む家に投げ込むひまわりの首
恋人が恋人の恋人と住む家の時計の鳩盗み出す

ひな:丘→家にしたことで自然な実感が消えてしまうかもと書いているが、家の方が自然じゃない?
コト:家の方が生々しさがある。

ひな:"風は吹かないのです":どう足掻いても悪い方向に行くようなことを指していると思う。
"時計の鳩盗み出す":人為的に悪い方向にしているような感じで意味が変わる気がする。(”投げ込むひまわりの首”:これは投げ込みが主観ではないとも捉えられそう)
コト:この改作は、人為的かそうでないかは重要ではなく、悪い方に転ぶことにフォーカスが当てられている気がする。


レッスン4:目がふたつ 眉間に縦のしわ2本 テーブル越しの声は聞こえず(p70)

・「目がふたつ」という入り方が新鮮
・「眉間に縦のしわ2本」で相手の不機嫌な様子がわかる

・「テーブル越しの声は聞こえず」:
 1、相手が黙っている
 2、物理的に聞こえない
 3、心理的に聞こえない
の三通りの読みがあると思います。
(中略)「目がふたつ」「眉間に縦のしわ2本」ときたら最後もこの形に合わせたいと思う。
具体的には「目」「眉間」にあわせて、「口」を持ち出したいのです。
できれば「ふたつ」「2本」に合わせて数もね。
目がふたつ 眉間に縦のしわ2本 かすかに震えている口ひとつ
(これは1のイメージ)

数と身体の一部で合わせているのがポイント


レッスン5:つまりそのー、メビウスの輪さここははは カーステレオから永久カノン(p72)

・全体として〈今、ここ〉という場所の、一種のパラダイス的な感覚が表現されているように思いました。
・「ここははは」:「ここは」と「ははは」の笑い声がつながっているということなのか、ちょっと分かりにくい
・「メビウスの輪」と「永久カノン」にイメージの重複

要するに、ここでは、
1.瞑想している車の中にいる。
2 .目的の場所に着きたいような、このままぐるぐる回っていたいようなかんじがする。
3.ハッピーである。

・「ここははは」ってもっとお気楽で繊細な感じ
・この歌はハッピーな感じが生命線

固有名詞でもみんなに分かってもらえないとだめ

つまりそのー、メビウスの輪さここははは カーラジオから永久カノン
メビウスの輪さ ここははは カーラジオから 永久カノン つまりそのー、
つまりそのー、メビウスの輪さここはハハ かーらじおカラ永久かのん
ウスの輪さ ここははは カーらじおカラ 永久かのん ツマリソノー、めび

コト:永久カノンって言葉を知らなかったから面白さが半減するよね。穂村さんも言っていたようにイメージ重複してるように感じ取れてしまう。
ひな:改作の4とか面白いけど、短歌としてどこか逸脱しすぎていて、原作があることで理解できるように思う。
コト:このメールの一連のやり取りがあることで理解できてるとこはある。


レッスン6:踊るのが止まらなくなる靴脱げず仕方ないので両足切断(p79)

・詩的表現が前提になっていることがわかって詠んでいる
←善意や好意や明るさの領域だけで書かれた歌には、本当の力が宿らない
・「両足切断」の唐突さは決してむやみな残酷さではなく、何かを強く要求する心の裏返し
・「両足切断」:現実でそういう事態に直面する人々がいるということを考えると、その上でなおこの表現に必然性を主張するだけの詩的強度があるかどうか
・一種のリズムがかたい(韻律感)←「靴脱げず仕方ないので」のあたりの窮屈さ
・「踊るのが止まらなくなる靴脱げず仕方ないので」が「両足切断」の状況説明になっている。説明してしまうことで詩的なインパクトが弱まる

踊るのが止まらなくなる靴○○○○○○○○○○両足切断
踊るのが止まらなくなる靴○○○あたしの足をおまえにあげる:ア音の連続

「踊るのが止まらなくなる靴」:アンデルセンの童話の赤い靴に由来
踊るのが止まらなくなる赤い靴あたしの足をおまえにあげる

「赤い靴」としたことで「踊るのが」とはっきり言わなくてもわかるようになった
ステップが止まらなくなる赤い靴あたしの足をおまえにあげる

ひな:これは結局何が言いたかったんだろう。笑
コト:(冒頭参照)人間が精神的に・・・・・・
自分から見て通常のことやけど周りから見ると異常のことを表現したということだろう。
ひな:最終改作の「ステップが止まらなくなる赤い靴あたしの足をおまえにあげる」では確かに異常さは引き継いでいるが。まあ、異常なオーバーヒートしてく部分にポイントを当てたということかなあ。


レッスン6を自分たちで詠んでみる(未)

今回は時間が無いので、また後日行い追記する形に。


余談

ちなみに「る」で終わる言葉、いくつ言えます?

これは、メールレッスン終わりの最後に神谷さんが穂村さんに問いかけたもの。短歌を詠むにあたって、言葉をどれだけ知っているかが重要であることが感じ取れる一文である。
今回の読書会は終了したが、面白いので最後に取り上げてみた。


ランドセル、あひる、キセル、キャラメル、ショッピングモール…
ショッピングモールを短歌で使うとなると、2句目か4、5句目になるだろうから縛りが出て、難しいようでインパクトのあるものが出来そうだなあ、なんて。(ひな)


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