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小説 星の家


 
 新聞記者に囲まれた李勇は言った。
「ベイベイはまだ5つだ。引っ越したら、帰る家がわからなくなるじゃないか」
 6歳のお誕生日にはいっしょに上海の遊園地に行くはずだった。あのアメリカのネズミが踊っているやつだ。
 
 ベイベイはある日、河に魚を捕りにいって行方不明になった、ということになっているが、李勇以外、村でそれを信じている人はいない。
 李勇の家が立ち退きの予定地になってからというもの、彼はご難続きだった。一台しかないおんぼろトラックはある日突然エンジンが爆発した。片目を失い片足が不自由になった。
 息子はいなくなった。

「あんたがベイベイがここが好きだから離れたくない、て立ち退きに応じないから、あの子はいなくなったんだよ。普通は立ち退きになったら喜ぶんだよ。こんな何もない村」

 ベイベイという農民らしくないハイカラな名前は母親がつけた。だから婚家との折り合いも悪かった。そして母親は息子がいなくなったあと半狂乱になり、隣村の村書記の子供を孕んだ。母親はベイベイの生まれ変わりと信じていて、家を出て行った。

 李勇が中国全土で有名になったのは、旅行者が微博に流した一枚の写真のせいである。
 周りがすべて削られた钉子户(立ち退きを拒んで孤立している家)はきらびやかな電飾で飾られていた。行方不明の息子が帰ってくる時に迷わないためだ、という李勇の言葉は人々の涙を誘った。

 撮影者は大学教授である。自分は故郷の不動産開発でしこたま儲けていたのだが、それは黙って「我が国も変わる時が来た」と書きこんだ。インテリらしく南宋の詩人の言葉をそえて。
 熱狂が始まった。
 最初は地元の新聞記者だった。次に動画の撮影隊が来て、李勇に演技を迫った。李勇が断ると、背格好が似たような農民を連れてきて、リュックから取り出したボロボロの服を着せて、「俺はただ息子を待っているだけなんだ」と言わせた。李勇も自分が話していると思った程の名演だった。
 これがバズった。
 そしてついにCCTVが来た。時の人となった李勇は生まれて初めて北京に行った。村長にはベイベイを河に突き落とした噂があるが、彼も出てきて満面の笑顔で見送った。
 天安門はテレビで見たとおりだった。万里の長城もそうだった。出された北京ダックを一切れも食べずに包むーもちろん戻ってくるベイベイに食べさせるためだー姿に全中国人が泣いた。
 全国人民代表大会で、「俺はただ息子を待っているだけなんだ」と呟くと、いろんな人が握手を求めた。どの手も柔らかく爪もよく磨かれていて鍬を持ったことなどなかった。

 李勇が帰ると、钉子户まで橋がかかっていた。もちろん橋も電飾で飾られている。村長がやってきて、以前の200倍の補償価格を告げた。

 しかし李勇はつぶやいた。
「引っ越さねえよ。俺はただ息子を待っているだけなんだ」
 またCCTVが来た。今度はあらゆるメディアが李勇の悪口を書きだした。彼には最初から息子などいなかったと。政府からの立ち退き補償を釣り上げるための村ぐるみの犯罪であったと。
 全中国人はもちろんそれは嘘だとわかっていたが、いっせいに李勇を罵った。あの大学教授も自分の愚かさを恥じた微博を流した。

 ある日、李勇が家に帰ろうとすると、つり橋が落ちた。そして逮捕され、独房に入れられた。
 電飾は外され、家はブルドーザーで壊された。
 李勇はベイベイが道に迷うのではないかと、気が気ではなかった。
「パパを許しておくれ」


 ちょうどその頃、ベイベイは空から自分の家を探していた。
 前はパパはいつもライトをつけていてくれたのに、


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