谷崎潤一郎「磯田多佳女のこと」

思わず息を呑んだ思い出を語ろう。

谷崎のエッセイ「磯田多佳女のこと」を
読んだときの話である。

そもそも磯田多佳は実在の人物であり、
明治時代の芸妓である。
芸妓をやめたあとは京都市の四条通に
九雲堂という陶器屋を開いたそうな。

私には作中で取り上げられている磯田多佳の俳句が
なぜだろう、心に突き刺さる。

とくに印象に残ったものを三句挙げてみる。

紫陽花や見る見る変わる爪の色
だまさるゝ身はおもしろし宵の春
死ぬといふ女のくせやほとゝきす

とくに
「死ぬといふ女のくせやほとゝきす」
の句を目にしたとき、
思わず私は息を呑んだ。

たった十七音で醸し出される圧倒的な色気。
打ちひしがれる美しさ。

私はとにかく
「死ぬといふ女のくせやほとゝきす」という句に出会うために
「磯田多佳女のこと」を読んだといっても過言ではないくらい
感動した。

「死ぬといふ女のくせやほとゝきす」
というひとつの句だけでも
「磯田多佳女のこと」が収録されている本の
値段以上の価値があるような気がした。

これらの心境には
谷崎の描く女性が好きだったことに加え、
私が大学時代から社会人1年目にかけて京都で過ごしたこと、
わかりやすい俳句が好きだったこと、
私自身、俳句を作っていた時期があったこと、
また、私のなかに「恋する人を差し押さえて、失恋する人が一番美しい」
という信条があることなどが
(私はこの句を読んだとき真っ先に失恋をイメージした)
関係しているかもしれない。

私が手にとった本には奇しくも
「死ぬといふ女のくせやほとゝきす」の
磯田多佳直筆の書の写真があった。

また、本文によると
「死ぬといふ女のくせやほとゝきす」と書かれた
煎茶茶碗が存在していたそうな。

シュールな茶碗だがなんだか欲しくなる。

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