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深い洞窟の底から(短編小説)

1254文字 8分


鋭い風切音と共に穴の奥から「ぼぉー、ぼぉー」という低い野獣の唸り声のようなものが聞こえる。
怖い、恐ろしい、入りたい。




洞窟は大人が横になっても少し余裕のある大きさがある。
奥は真っ暗、何も見えない。
入り口に一歩踏み込んでみた。
視界が一気に暗くなる。
風の音が少し弱まったが、謎のぼぉーぼぉー音は勢いをます。
もう一歩踏み出してみる。
外の世界から遮断されたような閉鎖的な空間になった。
動揺して振り返ると、そこにはさっきまでと何も変わらない世界がある。
頭のどこかで「引き返せ、この先に何があるかわからない」という暗示が鳴り響く。
もう一歩踏み出してみる。
完全に洞窟の中に身が収まっている。
一段と心臓が早くなるのを感じた。
スマホを取り出し正面を照らしたが、すぐ先は何も見えない。
天井は3mくらいあるが頭をぶつけないか周囲の様子を伺いながら、一歩、もう一歩と足を進める。
風の音はほとんど聞こえなくなり、足音が異様に響いている。
あの獣の唸り声のようなものだけは大して音量を変えず、それが逆に何かを伺っているようで恐ろしい。
スマホが圏外になった。
しかし充電は85%あるのでライトが消える心配はない。
10mくらい進んだのだろうか、動物や虫はいないようだ。
形を変えずに淡々と続く洞窟。
ふと振り返ると入り口の明かりが小さくなっている。
再び「引き返せ、この先に何があるかわからない」という暗示が鳴り響く。
ここで引き返さなければ獣の餌になって誰にも発見されないのではないかという想像をしていた。
怖いはずなのに止められない。
その先に何があるかわからないのに、好奇心が足を前に進めている。
すでに周囲は真っ暗で、入り口の明かりも見えなくなっていた。
「ぼぉー、ぼぉー」
洞窟の唸り声はゆっくりゆっくりペースを変えずに鳴り響く。
100m、200m、どんどん進んでいくと急に別れ道が現れた。
左からはあの唸り声が聞こえる。
右からは小さな風の音が聞こえる。
自問自答が始まった。
唸り声の正体が気になって入ったのか?それとも度胸試しで入ったのか?はたまた奥に宝でもあると思っていたのか。
風のなる方へ歩いていけば外にでられるかもしれない。
外に出る為に中に入ったのか?
覚悟を決めて唸り声の方へ進む事を決めた。
一歩進むといきなり唸り声が大きくなった気がした。
怖い、引き返したい、気になる。
ここまできたのに引き返したくない。
今までの人生は刺激に溢れていると思っていたのに、こんなにヒリヒリする感覚は初めてだ。
スマホの電池は残り79%。
最近のスマホは電池の減りが遅いので少しホッとする。
覚悟を決めて唸り声の方へ足を進める。
辺りは真っ暗でスマホの明かりだけを頼りに進む。
天井が少し低くなった気がした。
冷や汗がしたたり心臓の鼓動が早くなる。
ぼぉー、ぼぉー。
唸り声は明らかに大きくなり緊張感が増す。
それでも前に進むと暗闇の中に黒い大きな塊が見えた。
手を振るわせながらさらに近づく。
塊は息をするように少し大きくなったり小さくなっている。
まるで生きているようだ。
音を立てないようにさらに近づくと毛並みがある事に気づいた。
心臓は高鳴り震えが止まらない。
突然唸り声が止んだ。
塊が大きくなったと思ったらこちらに向かって走ってきた。
頭が真っ白になった。
振り返り無我夢中で走った。
あんなに好奇心で溢れていたのに、今は後悔で溢れている。
数百メートルしか歩いていないはずの洞窟が永遠に続くように感じた。
どさっ、どさっ、という足音が聞こえるが後ろを振り返る余裕なんてない。
全力疾走だ。
ひたすらまっすぐ走り続ける。
正面に小さな明かりが見えた。
もう体力の限界が近づいていたが一切スピードを緩めない。
いや、緩められない。
明かりが大きくなり風切音がはっきり聞こえる。
現実世界だ。
洞窟と現実世界の境にゴールのタスキがあるような気がした。
あたり一面が一気に明るくなり空気が満ち足りている。
少しスピードを落として後ろを振り返るとそこには何もいなかった。
その瞬間とてつもない疲労感に襲われた。
身の安全を確認できたので、すかさずその場に倒れ込んだ。
こんなに全力で走ったのはいつぶりだろう。
あの塊の正体すら分からなかったのに達成感に満ち溢れている。
今までずっと本気を出していなかった事に気づいた。
人生のやりたい事が頭をよぎる。
これは昔考えていた事だ。
今ならなんでも実現できる気がする。
人生は自分で決めるんだ。
立ち上がって前に進みだした。

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