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きっと何物にもなれないお前たちに告げる!

僕が大学生の時、「輪るピングドラム」というアニメがあった。調べると2011年の夏アニメのようなので、もう10年以上前の話である。
参照元も、2011年なので、ニコニコ動画である。Youtubeでない。

この話は3兄妹、兄二人と病弱な妹一人が主人公の話である。死にかけの妹が、兄に買ってもらった水族館で買った帽子をかぶると、

「生存ーーーーーーーーー戦略ーーーーーーーー!!!!!!」

の、謎の叫びとともに、性格がものすごく高飛車となった妹により、2分にわたる、全くついていくことができない、イリュージョンともされる寸劇が始まるのである。

「きっと何物にもなれないお前たちに告げる!」
このセリフは、このイリュージョンの中で、兄二人に宣告される言葉であり、このアニメのキャッチャコピーとなった言葉でもある。


当時の僕は、クソゴミカス大学生であった僕は、いわば「何物かになる可能性のある、でもその片鱗も見せないカス大学生」であったわけだ。

自分に何かの可能性があるかもしれなくて、
だけどもその可能性が何かは分からなかった。

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大学生だった僕も、もう今週で34歳である。

昨日今日で、Somewalk(主宰している社会人サークル)の活動で、茨城県筑西市下館地区へ行ってきた。
メンバーに、この地域の地域活動に携わっている方がいる。
この方は僕の大学の先輩であり、なんやかんや、結構長く付き合っている方である。
彼の活動の紹介を、別ルートで知り合った大学生たちに紹介し、地域社会の在り方を考えてもらう企画として、一泊二日でツアーを組んだ。

自分の時を思えば、今の学生はすごく優秀である。
僕は神奈川の山奥の大学に通っていたので、都内の状況とか、社会の状況とか、全くよくわからないまま、
自分たちのゆるいリズムで、なんとなく大学生をしてしまったのである。
それを思えば、本当に雲泥の差と言っていいだろう。

僕には、学生たちが、
「きっと何物にもなれないお前たち」には全く見えなかった。
若さというのは財産だ。
様々なチャンスがありとあらゆるところにある。
神奈川の田舎で、不貞腐れていることしかできなかった自分には、もう届くことのない場所に彼らはいる。

僕には、下館の人たちが、
「きっと何物にもなれないお前たち」には全く見えなかった。
街に誇り(とツッコミどころ)を持ち、苦笑いをしながらも、住む街を愛し、少しでも街がよくなるように努力をしている様は、美しくすらあった。


俺だけなのだ。
何物にもなれなかったのは。

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自虐のようになるので、あんまり詳細は書かないようにするが、
「自分にあるものが、あまり多くない。」
一泊二日を終えて、一番初めに得た感想は、高い充実感の割に、ちょっとネガティブなものだったりするわけである。

帰りの電車の中で、僕は、「あるもの」を数え始めた。
「多くない」だけである。「少ない」だけである。

「ない」わけではないのだ。


探せば、きちんとあった。
少ないけれど、大切にしたいもの。

残念ながら、自分は何者になることもできなかった。でも、誰かが何かになることを応援することはできる。

そういう風に生きているんだろうなあと思った。

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輪るピングドラムは、愛のストーリーでもありました。
大学時代には理解できなかったこと、今ならわかるのかな。


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