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ドラマ「イカゲーム」|極限状態の巧みな活用

今更ながらイカゲームを観た.
世間の流行を何周も遅れている気がするが,面白い作品はいつ観ても面白いのだから良いと観る前に自分に言い聞かせる.
鑑賞後,一番盛り上がっているときに観ればよかった・・・ってなった.

一応,ネタバレあるので注意.

デスゲームという設定

デスゲームという設定は,古今東西でこすられまくっている.
多重債務者の人生逆転と言われて最初に思いつくランキング一位は堂々のカイジであるように,日本では結構馴染み深い.

そんなデスゲームという設定をどう利用するかが作品によって異なるが,カイジやライアーゲームの面白さはデスゲームという枠組みの中で如何にして相手を出し抜くか,どうやって打ち負かすかという最終的な勝利に向けた戦略的な部分がおもしろポイントである場合が多い.

イカゲームはこれらの作品とは異なり,極限状態において人間がどのように意思決定をするか,極限状態において,理性をどうコントロールするかという部分を濃密に描写している.
デスゲームという一種の極限状態を作ることで,キャラの発言・行動に重みをもたせるという作り方をしている.つまり,乱暴な言い方をすればゲーム内容はシンプルなもので問題ない.むしろシンプルであればあるほど生きるか死ぬかが際立って見える.

イチかバチか死ぬという状況さえあれば,イカゲームの見せたい物自体は成立するのだが,ゲームの内容が雑かというとそんなことはない.世界観,デスゲーム,美しさ,それは考えとっても緻密に作られている.そんな舞台で登場人物たちは殺し合い,死んでいく.登場人物の内面をむき出しにするための素晴らしい舞台が何度も何度も繰り返されるのだ.

手を繋いだ後に殺し合いましょう

極限状態を創り上げるという意味において,最も機能していたゲームは間違いなくビー玉の奪い合いだろう.まずペアを作らせる行為がえげつない.

握手をさせることで契約成立とするシステムによって,参加者達は,ここまでのゲームの流れ上,信頼できる人を必ずペアにせざるを得ない.幾度も視線をくぐり抜けてきた仲間でないと自分の運命を託すに値しないからだ.

悩んだ果てに,手をつなぎ,ともに優勝を近う.なんとも美しい友情のシーンだ.その後殺し合わせる.これまで仲間だと思っていた相手と騙し合い,煽りあいながらキラキラしたビー玉を奪い合う.デスゲームの中でも友情を大事にするやつが勝利する!なんてことはなくて,ガッツリ死んでいく.どれだけここまで活躍していたとしてもガッツリ死んでいく.ガッツリ死にすぎて一周回って痛快なまでである.

極限状態だからこそ見えるむき出しの内面

そんな極限状態において,誰かを殺すことを正当化する人もいれば,殺人を犯したことを冷静に受け止めた上で次に進む人もいる.
それまで周囲に優しくしていたはずの人もゲームで負けそうになれば豹変し,嘘を付き,騙す.
いわゆる「普通」の状態では観れなかった部分がむき出しになっていく姿は見てはいけないものを見てしまったかのようなワクワク感がある.

そして,むき出しになった部分が参加者たちがなぜこんなデスゲームに参加することになったのか,納得感さえ生み出してくれる.自分のミスや悪事を正当化しながらここまで生きてきたからブレーキがかかりきらなかったんだな~とか,通常は優しいけど自分が負けそうになったら平気で嘘をつくような部分もあるんだな~どんな人にも良くない面はあるよね,って思わせてくれる.極限状態の振る舞いには究極のリアリティが乗っかるのだ.

極限状態だからこそ,醜い行動も魅力的に映るし,極限状態でも,他者を優先できる強さを持っている人もいることの事実がより強調される.行動一つ一つが善意なのかあくまで自分のためなのかを観ている側が判断する要素を散りばめることで,見ている側はキャラクターを立体的に捉えることができる.ここまでデスゲームという極限状態を上手く登場人物たちの関係性に昇華させるのがうますぎる.本当に面白かった,今更ながらやっぱり世界的に流行るものには流行るだけのクオリティがあるんだと再確認した.もっと早く観れば良かった・・・

まとめ

細かいところでいうと,仮面とか小道具の意味がちゃんと伝わってくるのが良かった.単なる雰囲気づくりだけじゃなくて,利便性や匿名性を加味した合理的な装備なのがいい.素性を隠すための仮面としての機能もしっかり出てた.顔普段隠しているからこそ,顔を出すことの重大さや名前を明かすことの重要さが伝わる.書いてて思うけど本当に無駄がない.素晴らしい作品だった.もっと早く観れば良かった・・・ネトフリ漁りまくろっと.




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