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今年の抱負といった大それたことではないけれど

あけましておめでとうございます。2021年、キリが悪いですね。早く2022年になってほしいです。

年が明けてから9日も経ってしまいましたが、2020年を少しだけ振り返ろうと思います。コロナのせいで多くの人にとって予想外の一年になってしまい、わたしにとっても随分と思っていたのと違う1年でした。2月に新卒で入社した会社を辞めて、世界をゆっくり旅行する予定でした。できれば1年以上日本を離れたかったので、住民票も抜きました。最初の目的地ミャンマーへの航空券を購入し、ミャンマーではビザ期限内に出国する証として航空券の提示が義務付けられているので、次の目的地のネパールへのチケットも一緒に買いました。1か月ミャンマーをひとりで旅行して、そのあとネパールで彼と合流し、アナプナを3週間かけてゆっくりとトレッキング、そのあとはインドかどこかへ移動する予定でした。

3月のはじめに予定通り日本を出国し、ミャンマーへ到着しました。学生ぶりの一人旅、3年ぶりの東南アジア。乾期でめちゃくちゃ暑かったけど、毎日カラッといい天気で、夕焼けは最高でした。朝早く起きて町を散策し、屋台で昼ご飯を食べて、昼間は暑すぎるのでホステルで昼寝をしたりネトフリを見たり、夕方に夕焼けを見に行って屋台でご飯を食べて一日が終わっていきました。(すごく楽しかったのですが、初日にバイクタクシーにぼったくられたり、ベッドのノミで全身真っ赤になったり、Eバイクで派手に転んだりと色々ありました。また旅行記もnoteに書きます、たぶん。)

様子が変わってきたのは、カローで3日間のトレッキングツアーに参加したときでした。ツアー参加者のフランス人ニックと話していると、お互いミャンマーの後ネパールに行く予定だと分かりました。彼はネパールで3年間働いていたので、知り合いも多いらしく「何かあったら連絡して」とWhatsappを交換してくれました。それがツアー1日目で、3日目の最終日、インターネットをチェックしたニックが「ネパールに入国には体調に問題がないことを示す医師の診断書が必要」になったことを教えてくれました。これは面倒になったなと思いましたが、マンダレーかヤンゴンの大きな病院で軽い診察を行うだけで英語の診断書がもらえるみたいだったので、その時はわたしもニックも「面倒だけど仕方ないね」と軽くとらえていました。

ネパール入国に診断書がいることを彼に伝えると、「今回の旅行は延期した方がいいと思う、ミャンマーの滞在も早めに切り上げて日本に帰った方がいい」と言われました。延期した方がいい?この旅行のためにそれなりに貯金して、会社も辞めて、覚悟を決めて旅立ったのに?延期したらわたしまた労働しないといけないの?そんな簡単に延期なんて言わないで!!とブチ切れ「絶対にネパールまで来て」と彼に押し切っていました。その時で3月の半ば、コロナが猛威を振るい始めた頃でした。その時わたしは旅行中でニュースもきちんと確認しておらず、コロナが世界でどうなっているかよく理解していませんでした。(お恥ずかしい)

その数日後、ネパール入国にPCR検査の陰性証明書が必要になりました。ミャンマーにはその時まだコロナの陽性者がでておらず、PCR検査を行っている病院もごくわずかで、在ミャンマーネパール大使館に問い合わせても「どこでPCR検査を受けられるかは分からない」としか回答してくれませんでした。ニックもはじめのうちは「陸路でタイに入国して、タイでPCR検査をすればいい」と言っていましたが、すぐに「やっぱりフランスに帰る」と言いその3日後には帰国してしまいました。家族に現状を伝えると「日本も大変なことになっているから、今回は帰ってきたら」と言われました。超・放任主義の母からのその言葉は、結構ひびきました。「本当にやばいのかもしれない」と思い始め、ネパール行きは諦め、残りのミャンマーの滞在を楽しむことにしました。

シーポウでまたトレッキングツアーに参加し、マンダレーに到着しました。マンダレーはミャンマー第二の都市で、ホステルには様々な国からの旅行者がいました。コモンスペースで話していると、「帰国する飛行機がキャンセルされた」「チケットが高額すぎて帰れない」と困っている旅行者がいることが分かりました。泣きながら大使館に電話している人もいました。わたしも怖くなって日本への飛行機を調べると、ミャンマーへ来たときの1.5倍の値段でした。ちょっと困ったなとは思いましたが、1年間旅行するつもりで貯金していたのでお金はあったし、次いつ旅行できるかも分からなかったので、ビザの期限ぎりぎりまでいようとまだ思っていました。

マンダレーからバガンへ移動し、次の日から楽しみにしていたバガン遺跡をゆっくり見て周る予定でした。ホステルに着いてなんとなく日本帰国のチケットを調べると、来たときの.15倍の値段のチケットはすでに売り切れ、2倍近くするチケットしか残っていませんでした。こんなにすぐ状況が変わるのか、と段々怖くなってきました。それでもまだタイから帰国する安いチケットはあったので、「もしこれ以上チケットが高くなったら、タイに陸路で入国してそこから帰ろう」と思っていました。

次の日バガン遺跡をEバイクで見て周り、さて明日もまだ遺跡を周ろうと思っていました。しかし帰国のチケットを調べると、タイから帰る安いチケットもソールドアウト。これは困りました。それにタイ以外の東南アジアの国は既に日本人・もしくはミャンマーからの外国人の入国を拒否していました。もしタイが同じように拒否するとミャンマーからしか帰国する道はなくなります。あと1週間も待てばもしかしたらチケットは超高額になり、もはや帰国する手段が他の旅行者のようになくなってしまうと気づきました。

ようやくここで状況の深刻さを理解し、次の日のマンダレーから帰国する航空券を購入し、予定より一週間早く帰国しました。

話が長くなってしまいましたが、これがわたしの予想外だった2020年のはじまりです。旅行、ものすごく楽しみにしていたのに残念です。次、海外へ旅に出られる日まで、またいそいそと労働を続ける毎日です。

しかし「いい意味で」予想外だったこともありました。それはWebデザイナーとしてフリーで働くようになったことです。

ずっと頭のどこかに「デザインの仕事がしたい」「フリーランスとして働きたい」という願望が頭にありましたが、実際に行動に移すことはありませんでした。しかし今回帰国後、派遣の仕事をしながら独学でWebデザインの勉強をし、昨年末からその分野でお金をいただけるようになりました。まだまだスキルも実績も未熟ですが、ずっと頭にあった願望が形になったという達成感がありました。

わたしは「行動力」があるほうだと思います。これまで「これがしたいな、こうなりたいな」というのはそれなりに叶えてきたと思います。人生においてしたいことはたくさんあります。アイスランドでキャンプとか、アメリカ大陸をバンで横断とか、自給自足に近い生活とか、山羊を飼うとか。きっとどれもそのうち実現すると思います。なので「夢はなに?」と聞かれると少し困ります。(そんなこと滅多に聞かれませんが)「アイスランドでキャンプ」も夢になりえそうですが、わたしの中で実現するだろうと思っているので夢とは言えない気持ちがあります。

新年に目標を立てるタイプではありませんが、あえて言うなら、これまでのように「行動する」になると思います。予測困難な2021年ですが、いつでも自分を信じる方へ歩みを進めたいと思います。

(写真はミャンマーで見たバナナの花です。バナナの花初めて見て感動しました。)

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