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コラム「幸せを感じて」

対人関係はどこでどうやっても生じる。
人と接していけば必ず壁にぶつかる。それは一人一人個性があり、考え方が違うから当然のことだ。

けれど誰かと近づきたい時、壁を越えないといけないと思った。

以前の私は何かを伝えたい時、仕事でも、家でも爆発ばかりしていた。

爆発をすると、結果的に相手だけではなく自分も傷つく。今思うとそんな感じに思う。特に人は追い込まれると冷静な判断を失ってしまう。そして相手だけではなく、自分自身の心も知らず知らずのうちに傷つけている。

「物を申す」発言は、不満を元に湧き上がるものかと思ったがそうではない。自分から発する言葉には責任が伴う、ハートが痛むことはよく考えて言葉にする。自分自身で経験してみてそれがすごくよくわかった。

気がついてからは、言いたい事を何度かフィルターにかけている。言葉の清書だ。

今日は仏教についていろんな角度(フランス文学や哲学など)から解釈している書物があった。

幸せになる方法とは、仏教的に解釈すると苦しみを無くすことだそうだ。そして、その苦しみを作り出すのは、誰でもない自分自身なんだそうである。

そうすると、見えてくる対人関係。

自分自身の行いや接し方で、変わるのだ。すると自分も変わるのだ。

とてもシンプル。

何か伝えたい時も、そこに思いやりがあるかどうかよく考え、優しく伝えると書いてあった。

本当にシンプル。

幸せの考え方についても書いてあった。
地位やステータス、暮らし、仕事、お金、友人関係、ギャンブル、性的嗜好...などなど、人によってはセンシティブな部分にも関わるほど、幸せの基準は違うのだそうだ。特にサディズム、マゾヒズムなどの性的嗜好、これは趣味の世界だろうと思っていたけれど、そこに日常の幸福の全てが存在している場合もあるという。こんなにたくさんある幸せの選択肢の中で私の幸せは

穏やか
安定

だった。物質的な事では到底満たされる事がなかったが、これに気がつけた事が幸せだと思った。

この二つはお金では絶対手に入らず、どちらかと言えば、信頼と愛情が土台を固めないと直ぐに崩れ落ちる。

もちろん幸せを維持するためには、日々の学びや勉強が必要なんだそうだ。

娘は私にいつもプレゼントをくれる、絵だったり、手紙だったり、言葉だったり。

私はいつも

「ありがとう!○ちゃんのおかげだよ」
というのだけと、私何かした?という。

ママの笑う顔がみたいだけ。そこに見返りはなくてすごくきれいな心だなあと思う。心が洗われる。

私のことを大切にしてくれる人がいると思うと心が洗われる。

この穏やかな日々は、実は私のハートを強くしてくれた。

毎日感謝して過ごしている。

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