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【禁酒?】せんちゃんはコーラね!【いえいえアルコールアレルギー】

「生の人〜?」
「…3、4、5ね!」
「あれ?谷川は?」
「…あ、コーラでお願いします…」

【お酒は二十歳になってから】
そういう文言を幼い頃から目にしながら、酒宴で酔う親兄弟を見ながら、
月日が経てば酒を嗜むようになるんだろうなぁと当たり前のように思っていました。
しかし、残念な事にどういう運命の悪戯か
僕の体はアルコールを受け入れられなかったのです…😭


発覚

ある年の正月、たしか小学6年生くらいだった気がします。
僕の地元は、年明けに親戚にご挨拶まわりをする習慣がありました。
「あけましておめでとうございます」という挨拶をしに行くだけでお年玉がもらえるという素敵なイベントでした。

また地元には、正月に自宅でも親戚の家でもお神酒という清らかなお酒を飲んで
無病息災を祈願するという文化も根付いています。
子どもは飲めないので、口を付けるだけ付けて飲んでいる真似事をするのです。
最初の記事で記載した通り、僕の実家は島で、親戚もたくさん住んでいます。
下手したらみんな親戚ちゃうんか?ってくらいの数です。

その家々を回るたびに、真似事を繰り返します。
ただ口を付けるだけではありますが、着々と体内にアルコールは取り入れられます。お年玉の額に比例して血中濃度は上昇していきます。

遂にその瞬間はきました。
眠さで目が開かなくなったのです。
急な眠さに襲われた僕は、黒ずくめの男たちに怪しい薬を飲まされ…
る事はなく、人の家で爆睡かまして復活して帰宅しました。
腕には謎の斑点があり、これはただ事じゃないぞという感じでした。


学生時代

高校は、アルコールパッチテストで腫れ上がって痒すぎるくらいで
そもそも飲み会がないので弊害はあまりありませんでした。

問題は、大学です。
だんだんと学年も上がってコミュニティが広がるにつれて、
飲み会も増えていきました。
特にバイトでは、罰ゲームとして飲まされるという地獄の文化が形成されていた為
飲み会の度に非常に苦労しました。
でも飲み会自体は楽しいので、参加はしたいんです。
ただ、如何せん体が付いていかない。

僕が友人にアドバイスもらって編み出した戦法は、【一気食い】でした。

何か振られて、
「いや〜飲めないんですよ〜」だったらつまんないなって思って、
どうにかして男見せる為にやってました。
ある時は唐揚げ、ある時はペヤング。
なんとかこれで盛り上がってたので、結果オーライだったかななんて思ってます。


就職してから

「社会に出ると、酒のマナーとか厳しいんだろうなぁ」
「とりあえず生ってなるんだろうなぁ」
働き出す前までは、そんな事を考えていました。
飲み会に慣れない学生時代に、最初に気まずくコーラを頼んでいた日々を思い出します。

新卒で入った会社を秒速で辞めた(いつか記事にします)僕が
次に入社を決めたのは、飲み会が大大大好きな今の会社です。
「飲み会好きが多いけど、大丈夫?」なーんて入社前の面接で聞かれるような会社です。笑
飲めるかは別として、飲み会自体は大大大好きな僕は、「楽しみです!」とお答えして入社が決まりました。

確かに飲み会の頻度は、とても多いです。
月夜から元気に飲みに行く人が多い、そんな職場です。笑
でも、本当に気配りしてくれる方が多い優しい職場です。

職場ではせんちゃんってあだ名で呼ばれているのですが、
「せんちゃんは、コーラでいい?」
って優しく聞いてくれる人ばかりいる恵まれた職場です。
「まずは生だろ!」なんて言う上司もいません。
後輩だからオーダー取らなきゃって動くと先回りしてオーダーしてもらってたり
業務外でもそんな風に仕事ができる方がたくさんです。

アルコールが駄目なのは、マイナスになることも多くて
仲間に入れないなって思う事もたまにあったりするけど、
こうやって優しい方々が仲間に入れてくれるから、
こうしていつも飲み会を楽しめています。

「周りのみんなばっかり酔ってて、酒が入らなくても楽しいの?」
って聞かれる事がよくあります。
とっても楽しいです。普段聞けない熱い言葉をもらったり、
どーせみんな覚えてないだろって、一緒になってふざけたり、
議事録になって、みんなが忘れてるあんな事やこんな事を
1人で覚えててニヤニヤしたり。笑

でもそれもこれも、輪に入れてくれる人達がいるからなんだなって
幸せに思うんです。
コロナの影響で長らく飲み会ができていないので、
あの楽しい雰囲気が恋しいです。

大声でワイワイ騒いで盛り上がれる、そんな日が戻ってくる事を願いながら
今日は1人で野菜ジュースを嗜みます。

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