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鹿児島県男女共同参画課主催イベント「#わたしはわたし」への嫌悪感について

しごく一部で(直接言ってくださったのは1人)、私が、鹿児島県男女共同参画課が行ったイベント「#わたしはわたし」に対して書いたコメントが波を立てているようなので、おそらく、ごく一部だと思うから需要は無いんだろうけど補足(というか注釈というか)。


私は、件のイベントに参加しておらず(そもそもの資格(40歳未満)がなかった)、中で何が行われていたのかを知る由が無い。だから、中身について何かを述べる、権利も資格もない。


だから、私が投稿のコメント欄で書いたことは、私が知りえたごく一部の情報(主に、主催者がSNSに投稿した開催報告)に依るものである。
私がそこで問題にしたのは、顔が出ている全体集合写真。多くの人が笑顔で写っており、良いイベントだったと思える。何も考えず、その写真だけ見れば。

「それぞれ、ひとりひとりが自身のジェンダー(あるいはアイデンティティ)を認識し、まずは自分のパーソナリティを大切にすることを考え、それによって、他者のパーソナリティを尊重するきっかけになればいいね」というワークショップであれば、それはそれでよかったのであろうと思う。

ただし、このイベントは、鹿児島県男女共同参画課が主催し「#わたしはわたし は、ジェンダー平等を推進していくためにここで生まれたキーワードを、世の中へ発信していきます。ぜひ、かごしまのジェンダー平等な未来に向けて、共に動き出しましょう。」(主催者によるNOTEから引用)と銘打たれたイベントである。

「ジェンダー平等」を推進していくための活動として、セクシャルマイノリティや、声の上げにくい人たちの、活動への参画が必要であるという視点は持っていてしかるべき(というか、持っていないと非常に危ない)という認識は、この主催者には無かったのか。

顔を出して全体写真を撮ること、そしてそれをSNSに投稿すること(事前にその通達や「SNSに投稿するので写りたくない人は、別のところに移動してください」という発言があったとして、そのこと自体)が、セクシャルマイノリティや、声の上げにくい人たちをさらに生きづらく、あるいはイベントへの参加をためらうような、あるいは参加したことでかえって疎外感(自分はこの輪から除外されているという感覚)を与えるようなものではないだろうか、ということを想像することの欠如を示しているのではないか。

イベント主催の鹿児島県男女共同参画課には、おそらく開催報告の義務があり、イベントに多数の参加があったことを喜び、良い写真が取れたと思っているのだろう。

そこで、「なかったことにされた」人たちへの、差別が行われていたことへの想像も無いのだろう。

はっきり言ってしまえば、これは、運営側の問題でなく、「集合写真を撮る」ことを前提として発注した主催者側の問題であると、私は認識している。


以上、「#わたしはわたし」のなにが問題か、でした。

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