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南九州新聞掲載コラム2「本当の『聴く』とはどういうことか」

本当の「聴く」とはどういうことか


鹿児島市を中心として、困りごとを抱える人、苦しい思いをされている方と、一緒にこれからを考える活動をしています。具体的には、居場所の運営をおこなったり、生活困窮状態にある方への食材支援・子どもさんへの無料の学習支援、不登校やひきこもり状態の方やそのご家族への支援、DVやハラスメント、差別や偏見に対する相談や支援、支援者への支援などなどをおこなっているわけですが、その入り口にあるのはもちろん「相手の話をお聴きすること」。


相談のベースが「傾聴(人の話に耳を傾けること・相手を否定することなくお話をお聴きすること)」であり、その技術や姿勢、考え方を伝えるための「伴走型支援者養成講座」は、団体設立以来、鹿児島市での開催は200回を数え、2年目から行っている鹿屋市での講座(毎月第1・3木曜日18:30~20:30@鹿屋市リナシティ2Fで開催)もまもなく100回を超えます。


最近ではおかげさまで、各地の講演会・研修会などに講師としておよびいただく機会も増えまして、僭越ながら「聴くこと」についてのお話をさせていただく機会も増えてまいりました。


ところが、『本当の意味で「聴くこと」』を考えるとなると、これがとても難しい。


もちろん、これまでにも多くの方が、たとえば、日本にカウンセリングを、ユング派の精神分析理論を導入した故河合隼雄先生ですら、聴くことについての書物をたくさん残され、我々心理支援(カウンセリング)にあたる者は、本当に毎日、常時のように、「本当の意味で聴くこととはどのようなことか」を考え続けていると言っても過言ではないのにもかかわらず、答えがわからない。


どのような相手に、どのような話の聴き方をし、相手の言葉にどのような反応を示し、なにがしかを(言葉以外の方法も用いて)伝えることができるのか。そのことを考えると、「いったい私なんかにどのようなことができるのだろう」「私がやっていることは、この人にとってなんら意味をなさないのではないか」と思い途方に暮れることもしばしば。


それでも、目の前には次々と「困っておられる」「つらい状態の方」がお見えになる。

その方に対して、何もすることができないとしても、その思いを聴き、受け止め、何らかのお役に立てていると信じて(妄想して)、できる限りのことを考えようとする。


私のおこなっていることは、砂漠からイヤリングを見つけようとすることなのかもしれない。単なる自己満足なのかもしれない。


それでも、お話を聴き、その方の思考や価値観を、理解しようと努めることが、私にできる数少ないことであるならば、私は死ぬまで「本当の意味で、人の話を「聴く」」とはどういうことなのかを、考え続けていくのだろうと思う。

お読みくださりありがとうございます。 いただいたサポートは、NPO法人ルネスかごしまが行う「生活困窮家庭・ひとり親家庭支援」に全額使わせていただきます。