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まがりなりにも続けることも大事だと思っている話

5月19日にNoteに最初の投稿をしてから、毎日続けていると思っていたら、実は5月20日には書けていなくて、5月21日からあらためて毎日投稿になっていることに今気がつきました。

それはそうと、少なくとも、5月21日からは、毎日何かしらの投稿を続けているようです。やっつけの投稿だったらしない方がいいのではないか、という意見もあると思うのですが、なんとか毎日続けています。Noteを始めるときに、毎日投稿するようにしよう、と思ったので、自分との約束という面もあります。でももちろんそれ以外にも理由があります。

来てくれる人への誠意

もちろん、社会的に有名でもなく、また、あっという間に拡散されるような名文を書いたり、幅広く誰かの役に立ったり、あるいは、特定の人たちにはとっても役に立つ投稿であったりするわけでもないので、始めたばかりのころに、フォロワーがそれほどいるわけではない=毎日見に来る人がいるわけでもない、わけですが、それでも、もし、あの文章を書いたあの人のところをもう一度見に行ってみよう、という方がおられた時に、新しいものが無い、というのはがっかりさせてしまうのではないかと思うのです。おそらくは、私が気になる人のところへ行って、新しいものが無くてがっかりした(残念に思った)経験があるから、そういうことを考えてしまうのだろうと思うのですが。私が文章を書くのは、それでお金を得たり、有名になったりすることを目的としているわけではなく(団体の活動のことをより多くの方に知ってもらったり、そのために発信力を上げたりする目的は少しあるけれども)、読んだ人が少しでも楽しくなったり、考えが深まったりして、喜んでくれることを目的としているので、「新しいのがあって良かったなあ」と思っていただけたらな、と思うのです。

少年との約束

ちょうどNoteを始めるころに、ある少年と約束をしました。その少年は、漫画家になるのが夢で、お会いすると好きな漫画の話や、自分がどれだけ漫画家になりたいかを熱く語ってくれるのです。本当に漫画家になりたくて、そのために努力もしているのですが、なかなか作品を書くことができないでいるようなのです。そこで、「私もNoteを始めて、毎日何かしらを書いて投稿するので、一緒に頑張ろう」と話したのです。それでも書くことができないでいる少年を責めたりすることはもちろんないのですが、私が頑張っている姿を見て、創作の苦しさも楽しさも、味わっていただけるようになってくれるといいなあと思っているのです。

ロールモデルとしての続けることの意味

私は、生きるのが苦しかったり辛かったりする人のお話を聴かせていただいて、一緒に何かできることが無いかを考えることを仕事としているのですが、その人たちが人生に悲観してしまうのには、その人の周りに、楽しそうに生きている人がいないからなのではないか、ということを考えることがあります。続けることは苦しい(こともある)、でも、楽しいことも、苦しいことと同じか、それ以上にあるということを、伝えることができたらなあと思って、今日が終わる18分前に、今日の投稿を行うところです。間に合った―。

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