見出し画像

一人旅は、本当の自分と向き合う時間

はじめまして、タニアと申します。
noteを書き始めるにあたって、まずはご挨拶を。

タイトルにも自己紹介文にもあるとおり、「一人旅」という旅行形態をこよなく愛する人間です。
かといって、複数人による集団旅行を断固として一切しないかというと、そういうわけではありません。
集団旅行には集団旅行の楽しみ方があることは承知しています。
友人に誘われれば喜んで行くし、家族とは予定が合えば一緒に様々なところへ飛び回ります。

この記事では、私が一人旅を好んでいる理由を紐解いてみようと思います。
「趣味は?」「一人旅です」「なんで?」の会話の後に続く言葉を整理しておきたい、というのが本音だったりします。


まず、「一人旅」がいいか、「集団旅行」がいいか、という議論に果てはないと思っています。
人それぞれ趣味・趣向が異なることは当然であり、だからこその「個」であると考えます。
そんな中で、私という「個」は一人旅という形態を好んでいる、ということに過ぎません。
元来同じように一人旅を好んでいる方に対しては、「それわかる」と共感していただけるといいなあと思いますし、一人旅なんかしたことないという方に対しては、「こんな楽しみ方もあるのか」と軽く流していただければありがたい、と思っています。

さて、タイトルではもっともらしく「本当の自分と向き合う時間」などと銘打っておりますが、最近よく思っていることを言語化すると、こういうことかなということで、付けてみました。
社会人として平日に(場合によっては休日も)仕事、それに加えて生活に必要な家事をこなしていくサイクルを繰り返す。
そんな忙しい毎日を送る中で、「自分」という「個」が埋没していっているような感覚を時々覚えます。
それは社会人として普通の感覚なのか、私の勝手な思い込みなのか、はたまた感染症の流行による近年の特異な情勢によるものなのか、定かではないところです。
考えるうちに、そもそも、確固たる「自分」って確立できてるのか?埋没を危惧するほどの立派な「個」を持っているのか?という根源的な問いになってきました。ちょっと耳が痛いので、この辺にしておきます。

一人という場面は普段の生活でもいろいろあります。
毎日の通勤時間などは最たる例ですし、自宅にいたとしても家族のいないタイミングでは一人です。
一人暮らしをしていた時などは、一人の時間がベースとなっていました(今考えると、もっと有意義に時間を使えたのでは…とも思います)。
そう考えると、意外にも一人の場面は多く存在しています。
通勤時間にスマホで有益な情報を収集したり、自宅に一人でいるときに本を読んだり、やりたいことをやることができます。
この一人のタイミングで、自分と向き合うことができるものだと考えます。
そして私の場合は、その一人という状態で旅行という非日常行為を行うことによって、より本質的に自分と向き合えるような気がするのです。

旅行では、普段の生活圏から離れて別の領域に身を置くことになります。
旅行先で見聞きするものすべては新鮮な情報として頭に入ってきます。
この新鮮な刺激を受けて、普段の生活では隠れていた自分の本来の価値基準を垣間見たり、忘れていた過去の朧げな記憶が蘇ったり、悩んでいたことの解決策を見つけたりすることがあります。

例えば、私はかねてよりずっと田舎暮らしに憧れています。都会の喧騒が苦手であり、自然の中に身を置いて落ち着いた生活をしたい、というのがひとまずの理由です。
中でも比較的山間部に近い暮らしに興味があります。山が好き、傾斜が好き、というのが根底にあるためです。
そんな中で先日、郊外の新興住宅街を訪れました。
新しい一軒家の並び、綺麗な内装・外装の店舗、広々とした駐車場を持った大型商業施設、整った公共施設、子供がのびのびと遊ぶ公園などを目にした時、ふと「こんなところに住むのもアリだな」と思ったのです。
今までの自分では、画一的な新興住宅街よりも、歴史の詰まった昔からの集落や、山の斜面に張り付くような逞しい住居にロマンを感じていたわけです。
もちろん、それまでの価値観が180°転換して、自分は勘違いしていた!ということにはなっていません。
ただ、これまで興味の対象から自ずと除外していたものが、意外と良いのでは?という気付きを得られたのはとても重要なことだと認識しています。

価値観というものは、自分の周辺環境によって日々変わっていくものです。これまでとは違う自分の価値観に気付くきっかけとして、「一人でどこかに行く」という行為が有効に機能するのでは、と考えています。
当然、家族や友人とともに先述のような新興住宅街を訪れる機会もあるのですが、「誰かと一緒にどこかに行く」という行為は相手とのコミュニケーションが大前提にあると考えます。
一人で足を運ぶことにより、自らの判断基準のみでその地で得られた情報を吟味することになります。
このことこそが、新たな気付きにつながる要因であり、一人旅の醍醐味であると私は思います。


と、長くなりましたが、一人旅に関する私の最近の考えを言語化すると、こんな感じです。
私が初めて一人旅をしたのは、大学1年の冬のことでした。
大学生になったからには何かやらねば、という思いからだったと記憶しています(随分と前なので記憶は薄いですが、そんなところでしょう)。
元々地理が好きだったことも手伝い、一人旅という選択をするにはそう悩まなかったはずです。
真冬の日光・中禅寺湖のほとりの民宿に2泊し、雪に覆われた戦場ヶ原を歩いた記憶は、しっかりと覚えています。
その経験が今の自分の何に繋がっているのか、分析することは非常に難しいのですが、自分の一人旅の原点であることには間違いありません。

一人旅をしていると、様々な考えが頭を巡ります。
それがなんだか心地よいので、一人旅を続けているのですが、その考えは浮かんでは消える泡沫のようなものです。
せっかく気付いた発見も、記録しないことには何にもならないのでは、ということで、noteを始めるに至ったわけです。
また、旅先で撮った写真たちも撮りっぱなしだったので、この場で世に出せれば、彼らも本望でしょう(と勝手に決めつけます)。

次回からは、最近行った一人旅(といってもドライブ程度のものですが)を基に、試験的に記事を書いていく予定です。
とりあえず、行程の途中で気になったことを深掘りしていくスタイルで書いていこうと思います。
自分の趣味・趣向に全振りするので、合う合わないあると思いますが、興味があればどうぞご覧ください。

それでは。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?