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まとめ・あなたにとって自然環境リテラシーとは?

 どうも、TANIです。今回は12月24日に行われた自然環境リテラシー学の最終発表についてまとめていきたいと思います。

!自然環境リテラシー学とは?!

 発表に使った原稿をまとめれば良いとのことでしたが、不覚ながら20日に39.4℃の熱を出してしまって準備のプランが狂って原稿が無いんだなぁ、これが。発表当日はミスだらけアドリブ任せのショーのミックスナッツ状態でしたがなんとか乗り切りました。大変だァ…

どうするTANI?

 幸か不幸か、発表では心の内にあることを満足に曝け出せたわけではありませんでした。というのも、伝えたい人を指名して発表する形式であったので、伝える優先順位が低いと判断し発表内容に入れなかったもの、自分の中で大切だと思ったが誰に伝えるべきか分からなかったことなど意外と仕切り直しで改めて外に出しておきたいことが出てきました。今回、noteというインターネットを媒体に情報を発信するにあたって、TANIの行き場のわからない想いが、不特定多数の誰かにとって少しでも何かの「足し」になれば嬉しいです。

発表ではどんなことを話したのか?

 まずは発表の回顧からしていきたいと思います。発表ではまず自分が感じた中で強く印象に残っていることについてまとめました。まず、TANIが自然環境リテラシー学を受講した理由について改めて振り返ってみましょう。僕がリテラシーを受講した理由は大きく分けて3つありました。

  1. コロナ禍による大学生活の出遅れを取り戻したかった(最大の理由だと思います)

  2. カヤックを含めて元々海のレジャーの経験があった(海コースを選択した理由)

  3. 生き物や自然が好きだった(この学部に来た理由にもなりますね)

まぁ割とありがちな理由なのかな、とは思います。ただ、3年生になって後輩と混じることになっても受講したいと思ったのは大学の2年間を孤独に過ごしてしまったというところが大きいですし、自分が思っている以上に他学生との交流を求めていたと自分のことながら気付かされました。

 次に、リテラシーで印象に残ったこと、「学んだ」ことについてです。こちらも大きく分けて3つあります。

  1. 自然の中では原則、「自分で」なんとかしなければいけない

  2. 自然に従って生きる

  3. 世界には自分で行かないと見ることが出来ない「景色」がある

 1つ目の「自分で」なんとかするというのは前半の回である河芸回や鳥羽回で痛感させられました。中学生の頃ヨットに乗っていた時とは違い、レスキュー艇がおらず沈したら自力で立て直して岸まで戻らなくてはいけない状況下でカヤックを漕いでいたことや、鳥羽回ではメスティンに入れる水の量を間違えて焦がしてしまい、寂しくなってしまった夕食。元々生活能力が低かったものの、オンライン授業で日中1人になることが多かった時期に当社比で向上していたTANIでしたが、より励まなくてはいけないと感じました。また、来年卒論で取り組もうと考えている内容についても資料のサンプリングに必要な技術に自分でも触れておくべきだと思うようになりました。

自分で」立て直すセルフレスキュー

 2つ目の「自然に従って生きる」これは、鳥羽回の時間で向きの変わる潮流や、尾鷲から的矢湾へ変更になった原因である台風、そして、網を水揚げする時間が決まっていた二木島回で感じました。自然の中で活動するとき、自然は人間の事情を聞いてはくれない。こちらが自然に合わせる必要があるのです。元々は、ギリシアのストア派の哲学者ゼノンの言葉で、彼は、自然=人間にとっての理性として、理性に従って徳を求める生き方を説きましたが、語感が良かったので勝手に拝借させていただきました。

自然に合わせて行動するしかないのだ

 3つ目の「自分で行かないと見ることが出来ない景色」はカヤックに乗ることで海面に近い目線で海からの景色を見ることが出来たり、定置網を引き揚げに行ったからこそ見ることができ、流通する魚の裏で様々な魚が一緒に漁獲されていることに思いを巡らせることが出来たことから挙げました。百聞は一見にしかずとは言いますが、価値観がそれぞれ他人の話を伝え聞くのが「百聞」ですから、自分の琴線に触れる情報が伝えられていない可能性があるわけです。そう考えるとどんなに興味がないからといって他人からの「楽しいから一緒にどう?」という誘いを断ってしまうのはすごく勿体無いことですよね。まぁ僕自身そんなにバイタリティのある方ではないので「絶対に逃すな!」とか、「断るな!」とは言えないどすけど、頭の片隅に置いておきたいことですね。

カヤック「ならでは」の景色

 さて、これらの思いを誰に伝えればよいでしょうか?

星空の下何かを伝える人の図、マイベストショット


様々考えましたが、まず、伝えたい対象として、15年前の自分を思い浮かべました。15年前のTANIがどのような少年だったのかについてお話ししますと、図鑑を読むのが好きな少年でした。植物図鑑、昆虫図鑑、きのこ図鑑、水の生き物図鑑、魚図鑑、深海魚図鑑、恐竜図鑑…様々な図鑑を読みました。図鑑を読んで「憧れ」を抱いた生き物たちがいました。それらに会いに行くためにいろいろな場所へ出かけました。ペンションや博物館、水族館…幸い、自分の好奇心に理解のある両親の元に産まれることができたため、おおよその生き物には出会うことができたと思います。しかし、どうしても会うことができない生き物たちがいました。横浜という「都会」に暮らしていたことが大きいとは思いますが、父とよく「本当の自然の中でしか出会えない」というような表現でそれらの生き物について語り合っていたのを記憶しています。そのような少年期を過ごし、海の生き物について学び、関わっていける仕事がしたいと漠然とではありますが志しました。しかし、好きなことだけしていればいつまでも好きなことができる世界ではありません。目指す方向が決まればあとはやるだけだと言われ、思い続けた中学・高校時代。今までお話ししたように、「海のリテラシー」としては遠泳に参加し、ヨットにも乗ってはいましたが、日々の学業などもあり少年期のような体験とはご無沙汰になっていました。少年期は親に「連れて行って」もらえたのに対して青年期になり、「自分から向かう」必要が出てきたのに「行く方法」を知らなかった、そんな感じでしょうか?立ち返る場所としての「体験」を積み重ねられず、モチベーションの維持に苦労しながらなんとか三重大学生物資源学部へ入学するも高齢の祖母の家に下宿することもあってオンライン授業は1年半にも及びました。勿論、これらの選択に後悔はしていませんが、物足りなさのようなものは間違いなくあったと思います。そんな思いを抱えながらようやく大学に通学できるようになった今年度、TANIが自然環境リテラシー学の授業を通じて、「本当の自然の中」で過ごす術を学び、スナメリやマダラトビエイ、ウツボなどに遭遇することが出来た。過去の自分に足りなかったピースがピタリと嵌りました。

!スナメリとの遭遇!

!マダラトビエイとの遭遇!

!ウツボとの遭遇!

 このような自分の体験と思いを踏まえて、自分と同じように図鑑を読んで好奇心を育む少年期を送っている子どもたちに向けて、自然の中に繰り出して自分の目で見るための「術」を身につけて、心の糧にできる体験をしてほしい。という話をしました。

 うん、今思うとオヤジの説教くさいね。ここからは発表では大きく取り上げて言わなかったけど誰かに届いたら嬉しい、そんなことを取り留めもなく語っていきたいと思います。

その他勝手に思ったコト

・「非日常」:リテラシーの実習を終えた後の充実感の理由ですね。鳥羽回の記事で全力を出して初めて見えてくるものがあるというようなことを話したと思いますが、今回伝えたいのは他のことを考えず、目の前の自然に全力になることで日頃の悩み事から解放されるということです。二木島を訪れた時にも、見渡す限り山と海しか見えない景色に対してこのような第一印象を抱きました。初めて訪れてもらう人へのセールスポイントにはなるかなぁと思った一方で、これを「日常」にする人を求めている、漁業に携わっている方々にとっては「お客様」目線になってしまっていると後々振り返って感じました。

・「共有」:これは的矢湾回以降から感じ始めたことで、古里回の記事で言及しました。人それぞれ違う視点を持った人がそれぞれ発見した「オモシロイ」ことをみんなで共有することで「オモシロイ」は増やすことができる。他人の「オモシロイ」に積極的に乗っかっていくことが大事で、自分の「オモシロイ」も共有することで何倍にも楽しい体験になる。今回はTANIの方からはあまり「オモシロイ」を供給出来ず、仲間から分けて頂いてばかりだったので、これからの人生で少しずつ返していきたいと思いました。そして、この「オモシロイ」をどれぐらいつくれるかが人生の豊かさを決める。そんなところまで考えは巡りました。

・「対等」:自然の中では1人の「人間」でしかないということです。TANIは話題に対しての相手の方が詳しいと感じた時に必要以上に聴き手に回ってしまうという癖がありました。しかし、的矢湾の台風前夜の夜、二木島の鹿の嘶く夜、古里の満点の星空の下囲んだ焚き火…皆に等しく厳しくも美しい姿を見せる大自然下ではそのような遠慮が消え去り、様々な話題で自分の考えていることを伝えられて会話に花を咲かせることが出来たのかなと思っています。

まとめ

 これだけつらつら書いてきてもやっぱり自然環境リテラシー学の良さは伝えきれません。実際に自然の中に身を置いて過ごす体験してみてほしい。そうすることで普段は気づくことができない自分の一面、他人の一面に気がつくことができる。そうすることで新しい自分の在り方、他人との在り方を見出すことができる。そんな実習だったと改めて思います。
 最後に、古里回のデジャヴになりますが、自然環境リテラシー学に携わってくださった全ての方に感謝の気持ちを改めて示したいと思います。本当にありがとうございました。

さようなら❗️またどこかで会いましょう👋

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