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【アート】私が教養としてクラシック音楽を聴いている3つの理由

こんにちは、丹下響です。

結論からいうと、今、すべての日本国民が教養として「クラシック音楽」を聴くべき時代が来ています。

もう少しいうと国民の義務として、4つ目の項目にクラシック音楽を聴くをいれてもいいと思っています。

で、もし、これを読んでくれた方が「別にクラシック音楽なんて眠くなるだけなんで遠慮しときます」と言おうものなら、その瞬間、貴殿のみぞおちに、ボクシング世界チャンピョン並みの強烈なパンチが飛んでくるので注意してください。

はい。

そもそも、事の発端は、ビジネスパーソンや学生の間では、アートを勉強しましょうという風潮がでてきたことです。

例えば、メディアアーティストの落合陽一さんは自身の著書『日本再興戦略』で以下のように述べています。

これからは社会人向けの教育の盛んになるでしょうが、その時に大事なのが拝金主義を捨てることです。
MBAを学ぶぐらいであれば、リサーチメソッドやアートを学んだほうがいいでしょう。今の日本の教育を受けていると、どこにもアートに触れる機会がありません。
しかし、アートを学ばないとものの複雑性を理解できません。

また、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者 山口周さんも同著の中で以下のように話しています。

 ニューヨークのメトロポリタン美術館で実施されている早朝のギャラリートークに参加してみると、以前は旅行客と学生でほとんど占められていら参加者の中に、ここ数年は、グレースーツに身を包んだ知的プロフェッショナルと思しき人たちをよく見かけるようになりました。彼らは、忙しい出勤前の時間をわざわざさいて、ギャラリートークに参加してアートの勉強をしているわけです。

そんなわけで、アート、特に絵画の鑑賞という点については、ある程度注目されるようになってきてるという実感があります。

実際こんな本が売れてたりします。

*この本自体は、クラシック音楽と何の関連性もないですがすごくおススメなので、本屋で見かけたときにでも、手に取ってみてください。

というわけで、どうやらこれからの時代はアートをマスターすると良いらしい、ということです。

アートを学ぶ目的

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では、どうすればアート的力を伸ばせるのか?、僕は気になりました。で、調べると、次の4つの方法がありました。

1絵画を見る

2哲学を学ぶ

3文学を読む

4詩を読む

結構何でもありみたいです。

ようするに、アートを通して手に入れたいのは、画一的なものの見方にとらわれない自由な発想や、考え方を持つことのようです。

例えば、1億円するらしいけどただインクをばら撒いただけにしか見えない現代画と、幼児がかいたぐちゃぐちゃの絵、この2つがあったとします。クイズ番組では、どちらが本物でしょうか?となるところです。

もちろん、クイズで勝つためには、1億円の絵をあてなけえればなりません。しかし、アート的な思考をする場合、どちらが正解か、というのは関係ありません。

むしろ、幼児の描いた絵であっても、自分が良いと思ったなら、良いと言える力、こちらのほうが大事なようです。これは、自分の中で何がいいか、という判断の基準をもっていなければできないことです。

自分の判断基準、すなわち自分の美的感覚をつくるために絵画を見る。そして、既成概念にとらわれない思考をするために、哲学を学ぶ、こういうことだと思います。

このような、従来の価値観や周りの常識にとらわれず、自分がいいと思ったものを良いという力、そして自分のなかに良いという価値観の基準を作ること、それが狙いです。


クラシック音楽もアートではなかろうか?

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前節で、アートを学ぶ目的をみましたが、究極的にはアートを学ぶ目的に合致していれば、何でもいいということになります。

だとすると、「クラシック音楽に親しむでもよくないか?」と僕は考えました。

なぜこうなったかというと、僕は絵画は好きなのですが、どうも哲学は長続きしてきませんでした。なので、ほかにアートを学ぶ方法はないのかと、夜な夜な考えていました。

そして、ふと思い出しました。僕はクラシック音楽が大好きなのです。中学、高校時代はオーケストラ部に所属していたほどです。

自分の好きなことが、そのままアートの学習につながる、こんなおいしい話はないぞ、というわけです。


なぜ、アートなのか

ここから本題です。

前節では、クラシック音楽を聴くことで、アート的能力を伸ばせるという話をしました。そして、アートを学ぶ目的は、上で見てきましたが、ここではなぜ今アートなのかという、アートを学ぶ理由について見ていきます。

1).ロジックを用いた問題解決には限界がある


ビジネスの世界においては、今まで数字を用いるような論理的問題解決を行うことが良しとされてきました。

例えば、商品Aと商品Bのどちらかをこれから売り出すと仮定します。そのとき、従来のロジックを用いた解決方法の場合、試験的に、両方を売り出して売り上げの大きいほうを実際に、販売するという方法がとられたと思います。

しかし、この従来型の解決策では2つの大きな問題があることが指摘されているのです。

1つ目は、答えが出るのに時間がかかる、ということです。論理的アプローチをとる場合の多くは、状況を単純化(モデル化)して、解決します。しかし、問題が複雑化するとその方法は、全く機能しなくなります。

事実、ビジネス界に存在する問題の多くが従来型の解決策では、機能していないようです。つまり、ビジネス界に存在する問題は、論理で解決できるほど単純でないことが多いということなのです。

そして、こうした論理的アプローチで答えが出ない複雑な状況でも、論理的にあろうとすると、議論が進まない、時間がかかる、といった問題か起こってしますのです。

2つ目の問題は、差別化ができなくなる、ということです。

ビジネスでも、SNSでも、なにかを発信するうえで大事なのは差別化だと思います。なかでも、キングコングの西野亮廣さんが言っていたのですが、「他者にパクられない差別化をはかる」というのが大切なようです。(詳しくはYouTubeを漁って、見てください)

しかし、物事を論理的に解決するということは、再現性があると言うことです。つまり、誰がその問題に取り組もうとも、状況や与えられたデータが同じであれば、必ず全員が同じ答えにたどりつく、ということです。

つまり、論理的アプローチをとってしまうと、差別化したいのに、みんな同じ答えになってしまうのです。


2).世界中の人が「承認欲求」を満たしたがっている

産業革命以降、人の生活はとてつもない速さで豊かになっています。途中、戦争で争うことがあったにせよ、この地球上から、「飢餓」と「疫病」という死因は、なくなりつつあります。

こうした状況から世界は、「自己実現的消費」を目指すようになってきていいるようです。自己実現的消費とは、何かしらものを買うときに、ものが持つ「機能」を得るために買うのではなく、ものが持つファッション性にお金を払うということです。

アップル商品が分かりやすい例だと思います。単に、スマホがほしいのであれば、iPhoneと同じ機能を持ち、かつiPhoneより安いものがあります。でも、多くの人がiPhoneを使っているのは、iPhone=クールというイメージがあり、自分もクールなものを持ちたいからだと思います。 

では、そういうクールなものを作るにはどうすればいいか、となりますが、ここでもアートの出番です。クールさのようなフワッとした曖昧なものを論理で処理するのは、難しい。それよりも、アート的な直観に従い、こっちは「かっこいい」、あっちは「ダサい」としたほうが結果として、いいものができるようです。

3).技術革新に「法律の整備」が追いつけていない

現在、科学の進歩が速すぎて法律の整備が追い付いていない、という事態が多発しています。

つまり、まず法律の整備が追い付いていないある種のグレーゾーンで利益を出す。とはいえ、モラルに反しているということで、社会的にバッシングを受ける。そして、謝罪してやめる、という一連の流れです。

しかし、この流れの中において、問題となる行為を行った会社が内側から、行いを正していくという課程がありません。ただ、外部から非難を浴びたからやめるているだけです。従って、過ちを犯した会社は再び同じ過ちを繰り返してしまいます。

これは、その会社の中に、法律に違反しているかいないか、という基準をこえた倫理上の価値観を持たないことから起こっているようです。

反対に、Googleは、法律という基準のみに頼らず、進歩の速い分野では法律の整備が遅れることを理解したうえで、社内にモラル上の基準を設けているいい例だと思います。

Googleは現在、人工知能技術の開発や研究に大きく力を入れている会社です。人工知能などの情報分野は、近年特に進歩が速い分野です。そうした中で、AI技術の暴走や悪用を阻止するため、AI倫理諮問委員会なるものを設けたりしています。(なお、上記委員会は人事上の非難からすぐに閉鎖されてしまった)

また、Googleは「私たちの基本理念」と称して以下のことを定めています。

GoogleとAI:私たちの基本理念

1. 社会にとって有益である
2. 不公平なバイアスの発生、助長を防ぐ
3. 安全性確保を念頭においた開発と試験
4. 人々への説明責任
5. プライバシー・デザイン原則の適用
6. 科学的卓越性の探求
7. これらの基本理念に沿った利用への技術提供

追求しないAI

1. 総合的にみて有害または有害な可能性があるテクノロジー。重大なリスクが認められる場合、利点が大幅にリスクを上回る場合にのみ関与し、その場合も適切な安全上の制約を組み込みます。
2. 人々に危害を与える、または人々への危害の直接的な助長を主目的とした、武器またはその他の技術。
3. 国際的に認められた規範に反するような監視のために、情報を収集、利用するためのテクノロジー。
4. 広く一般的に認められた国際法の理念や人権に反する用途のための技術。

どうでしょうか。

委員会が解散してしまったとはいえ、社内に確固たる倫理的基準を設けている例を言えそうです。

さいごに、、、

どうやら今のご時世、論理だけをそなえたホワイトカラー的人間が成功するのは難しいようです。

そうではなくて、過去の常識にとらわれず、自分の中にしっかりとした価値観を持つ。そうした価値観を育むためにアートを学びます。

そして、アート的思考を学ぶ上でもっとも自分に合っていたのが、クラシック音楽でした。

とはいえ、好き嫌いなんて言わずに、哲学や絵画にも興味を持っていきたいと考えている今日この頃です。


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