ものがたる線ものがたり⑤
あるとき、書くのが嫌になった。大学2年生くらいで師範を取った。その後、お稽古を続けているうちに公募展に出すことにどうしてもワクワクしなくなっている自分がいた。目的がよく分からなくなった。思えば小学生から続いていたのは、「自分の思った通りにお手本の線を書きたい」というモチベーションがあったからだった。しかし、書道=得意、ということを自分が認識したあたりから、「楽しいこと」ではなく「人よりできること」に変化していたのだ。
「やれること」ではなく「やりたいこと」をやりなさい、などと言われることがあるが、それは本当にその通りで、いつの間にかわたしは、書道がただ「得意なこと」になってしまっていたんだな、と思った。遊びだったときはよかった。わたしはその時期から、パタリと書けなくなってしまった。
「やりたい」という内発的動機付けがなければやっていけない人間である。怖いのは、「これはわたしがやりたいことではない」と思った瞬間。わたしの場合は定期的にそれが起こり、周囲からは一途にやり遂げる人間だと勘違いされることもあるが、それは「やりたい」になるように小さな変化を自身に与え続けているからなのかもしれない。
一本の線をよく見ると、書いた線には間違いなく「ゆらぎ」が生じる。揺らがないはずがない。自分の呼吸、バイオリズム、波。誰が書いても、一つとして同じ線が書けない。揺らぐこと、安定しないこと、決まらないこと。それはわたしにとって何かを永遠に続けるためのテーマかもしれない。
つづく
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