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「生涯発達」と「書」の関係性を考える④

「沈黙の中身は、すべて言葉」(谷川俊太郎)

 「詩を書き始めようとする時、一枚の白い紙を前にして私はいつも途方に暮れます。何をどうやって書けばいいのか、見当もつかないのです。白い紙がまるで荒野のように思えます。私にできることと言えば、ただじっと待つことだけです。いったい何を待つと言うのでしょうか。」谷川はこう語っています。(谷川俊太郎詩選集1あとがきより)

自分自身のなかにある「言葉」とは何か、意識したことはあるでしょうか。わたしたちが普段使っている「言葉」は、あくまでもだれかとのコミュニケーション、だれかが使っていた言葉を真似し、覚え、使っています。そしてそれを、あたかも自分自身が「わかっているつもり」で使っているだけなんじゃないか、と私は疑っています。実はそれぞれが思う「言葉」のイメージはちがう。さらに、言葉を「使う」だけではなく、「もっている」「あたためている」(内言をもっている)ひとたちも存在します。

いったい「言葉」とはなんなのでしょうか。「伝わる」「伝える」、その手段としてだけではなく、概念を作り、枠組みを作り、世界を作るものでもあります。そう考えると、それぞれの「世界」を作っているのかもしれません。そのイメージの違いを楽しみ、育み、あたためていくような試みが乏しいと、イメージは貧困になり、みんなが同じことを考えていると思い込み、排除や差別が生まれるのではないか、そんなことを感じています。

内言が豊かなアーティストとの関わりを通して学ぶことはたくさんあります。そして彼ら自身も、「言葉を書く」という行為を通して、さらに豊かに内言を磨いているのだと感じます。それが、他者を受け入れ、自分を肯定していく何よりの手段だと感じています。


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