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青春ドラマの中の惨劇、美しい別れ ―韓国ドラマ「二十五、二十一」の良さ―

最近、世間よりだいぶ遅れて韓国ドラマ鑑賞にハマっているのですが、Netflixで配信されている「二十五、二十一」に心打たれ、いろいろと思うことがあったので綴りたい。

(主にエピソード15.16を中心とした感想で、かなりネタバレ要素ありです。)


唐突ですが、見ていて暗い気持ちになる作品より、明るい気持ちになれる作品が好きです。
メンタルがかき乱されないよう、自衛として深刻なテーマ題材のものは余程興味を持たない限り避けてしまいます。
ドラマ・映画鑑賞はあくまで娯楽だから。

そういう理由で、映画やドラマは比較的ラフに見られるものを選びがち。

今回も、夢に向かってまっすぐフェンシングに打ち込む少女ナ・ヒドの眩しい姿、恋なのか友情なのか分からないペグ・イジンとの関係にこちらも胸がドキドキする、そんな軽快なリズムで進むであろう青春作品を楽しもうという気軽な気持ちで見始めた。

しかし、しっかりと"重み"があった。

ショックを受けた。

本作品が1998年のIMF危機を背景としていることは前提知識として知っていたので、はじめの方は当時のリアルな状況を知れて興味深いな〜ほどのスタンスで視聴した。

しかし、物語の後半になるにつれ、イジンが記者として負わざるを得ない胸の痛みを目の当たりにし、考えさせられるものがあった。

彼は報道のために事件や事故の現場に足を運ぶ度に、遺族への共感や同情が募ってしまい、目が虚ろになっていた。

この段階では、ちょっと重い要素もあるんだな〜くらいの気持ち。

本格的にショックを受けたのはエピソード15。

想像以上に深刻な出来事が作品に取り入れられていた。

2001.9.11 アメリカ同時多発テロ事件。

そう来たか、と思った。

同エピソードの中では、ヒドとイジンのバカップルのような仲睦まじい姿が見られる多幸感に溢れるシーンもある。

同エピソードとは思えないほど、落差が激しい。

当時はまだ今ほどSNSが発達しておらず、情報の要はニュース番組だ。

細かな状況はまだ分からないまま、テレビを付けたら信じられない光景が写る様子に当時の人々はどう思っただろうか想像して、気持ちがどんどんと沈んでいく。

そして、イジンがヒドとの旅行を取り消して、仕事を全うするべくニューヨークに向かい、そこに待っていた試練や辛さと言ったら、見ていられなかった。ただ事実を伝えるだけの仕事ではない。

生存者にインタビューに出向くも「生き残った辛さもある」と怒鳴られて追いやられ、会社に戻れば大量の捜索願いに圧倒され、遺族の切なる願いにイジンは心が参っていた。

夜はうなされて、ろくに眠れもしない。生き地獄だ。

テロ同時多発事件の深刻さを、記者の仕事という角度から考えたのは初めてだ。

事件の悲惨さに圧倒されて、記者のことを媒体として認識してしまうが、記者だって人間だ。メディアを作り上げる一人一人にも感情がある。

彼らなりの辛さについて考える日が来るとは。

まさかここまで重い話になるとは想像していなかった。

でも、軽快な青春作品の中にこのような残酷な要素を入れることは決して避けるべきことではないと思える。

むしろ、このような惨劇をあえて取り扱うことで、本ドラマをただの青春ドラマには留めておかない、作品の良さを一層引き立たせているように思える。

特に、2001年を生きる記者について描くならば、この事件はきっと避けられないだろう。

なかったことにはできない。

その後も、アフガニスタン紛争に発展して、イジンは帰国できずにニューヨーク滞在がどんどん延び、ヒドと会えない時間が長くなる。

社会情勢と絡ませて、二人の関係を描くとは、、、

青春作品は軽く見れるなんてもう言えない。

エピソード15までは一日の多くの時間を費やして狂ったように次々へと見進められていたのに、エピソード16を見進めるまでに少し時間を置いたほどだ。
消化しきれず、作品と距離を置きたくなった。


数日が経ち、ようやく最終話エピソード16を視聴。見て良かった…。
自分史上、一番泣いたドラマになったのではないだろうか。

恋愛ドラマのゴールとして、
・結ばれる
・別れる
の大きな二つの選択肢があるが、
「別れる」の中にも、様々な選択肢がある。

イジンとヒドは、お互い不満をぶつけ合うような形で二人の関係を終わらすことになりかける。
ここで終わったら作品のゴールとしてはダメだ。あまりにも虚しい。

その後「本当はこんなこと言うはずではなかった」と後悔し、正しい別れ方を求め、二人は走り回ってお互いを探す。

ここで「やっぱり愛してる。別れるのはやめよう。」ではなく「あんな言葉で別れちゃいけない」と確信するのが、本当に美しいなと思った。

まさに、”美しい別れ”に魅せられた。



このシーンも、本当に良いんですよね…良すぎて…語りますね(^_^)/
お互いを探す場面で、イジンが遠くにいるヒドの姿を目にしたとき、普通であればすぐに駆け寄って抱き合うが相場じゃないですか。

でも一旦、イジンはヒドに見られないように、顔をそむけるんですよ。
涙を隠すかのように。涙をこらえるように。

その分、こちらが涙あふれてしまうよ~~!(興奮止まらないオタク口調)

ここの、ナムジュヒョクさんの表情が何とも言えない。天才。
色んな思いが読み取れる。
ヒドが自分を探してくれていることへの安堵感
最後にヒドに会う前に一旦自分を落ちつかせている
本当にこれが最後だということへの悲しみ
何かを決意したような覚悟

これが、国語の読解問題であれば、回答者が書いた答えが全て正解になるだろうと言えるくらい、色んな感情を込めて視聴者に届けてくれる、視聴者それぞれの解釈をさせてくれるナムジュヒョクさんの演技に脱帽です。


エピソード13(エピソード16中)でようやく二人が「こういう愛もしてみよう」と恋人同士の関係になったのも踏まえると、二人が明確に恋人同士である姿を描いた部分は割と少ない。
恋よりも愛が先に芽生えた二人の名前を付けがたい関係性を時間をかけて丁寧に描いた本作品の魅せ方が大好きだ。
男女の関係をすぐに恋愛という枠に当てはめるのではなく、二人で言葉を探しながら、思い悩みながら、関係性が深まっていく様はとても見応えがある。

二人の関係性について表した彼らの言葉で印象的だったものを記しておきたい。

借金取りに「絶対に幸せになりません」と約束したイジンを見て、「二人でいる時はこっそり幸せになろう」と言うヒド。
二人は最初、遊ぶ時は秘密で幸せを手に入れようという関係から始まった。

イジンがヒドをどう思うかについての言葉選びがとても素敵。
「お前はいつも俺を正しい場所、いい道へ導く」
「一瞬でも無駄な経験はさせたくないし、幸せな経験だけしてほしい。それは俺がさせてやれる」  

ヒドはイジンに子どものようにからかわれる事から、嫉妬?劣等感?好きだけど嫌い!と考えがまとまらないままバカ正直に思いを吐露していたのも、それはそれで素敵。  

二人の関係性に名前をつけようと、ヒドが「虹」という言葉を提案するも、後日、イジンはヒドへの思いを「サラン(愛)」と誇らしげに言う。
虹はいらない、と。
こんなにも全ての折り重なる気持ちをまるっと包み込むような言葉として相応しい、全く下心のない純粋な「愛」を初めて聞いた。

二人の関係性は最終的に「恋愛」という形に行き着いたが、意外とも思えたし、必然だったようにも思えたし、なんだか不思議な気持ちになった。


2000年前後の情勢を踏まえた「時代」という大きなテーマの中で、繊細に揺れ動く二人の関係性がとても眩しかった。
月並みな言葉になってしまうかもしれないけど、全身全霊でこんなにも誰かを愛せることが心の底から羨ましく思った。

長くなってしまうのでヒド&イジン以外の登場人物のことにはあまり触れられなかったけれども、仲間たちもみんな魅力的。ユリム、ジウン、スンワン、みんなそれぞれ個性があって、事情もあって、彼らなりに精一杯生きている。
そういえば、他の仲間達が悩みを打ち明ける中でのスンワンの「私の悩みはもっと現実的なものであってほしいです。人生がつまらない。」という言葉にはハッとさせられたなぁ‥‥。


彼らの輝かしい青春は永遠に続くだろう、永遠に続いてほしいと思う一方で、人生の中で見れば刹那的だ。
ヒドが母親になった現在の世界で娘がヒドの昔の日記を読み返しながら、それと並行して青春時代の物語が進むという構成によって、視聴者側にもこれは昔のこと、永遠に続くものではないという意識をより強く植え付けた。その意識によってより一層、彼らの青春を美しく見ることができる。

人生の中で最も美しい瞬間を描いた良い作品でした。






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