見出し画像

私の弱さはこれです。貴方の弱さは何ですか。

どんな季節に生まれたか、血液型は何型か、
そんな風に何の気無しに尋ね合うように
貴方の「弱さ」は何ですか
と尋ね合える世界だったら。

勿論自分の病気や弱さを知ってほしくない人だっているだろう。
けれど結局は、インターネットの世界でSNSやら知恵袋やらを通して自分と同じような類の悩みを抱えている人を見つけては一時的な安堵や共感を得て、それを欲していたことに気づく。

ずっと自分のことは「強い」と信じていた、そもそも自分が強いか弱いかなんて考えたことすらなかった私は、20歳になった途端に弱くなってしまった。体力も気力も何もかも。

20歳。ハタチ。
晴れやかで、めでたくて、これからの未来へ希望を抱き…
まさに「光」のようなイメージ。
けれど、私は「陰」に隠れるような生活を送った。

私の20歳は、いわば「人生の停滞期」となった。絶不調だった。
とある感染症に罹り(コロナではなかったが)、その後遺症で軽度のうつ症状と様々な身体的症状に悩まされた。
(ということになっている。(これまた複雑))
そして様々な科の病院をツアーのように回るが、最終的に心療内科にお世話になることになった。
その日から約3年、現在に至るまで月に1度通院している。
病気の詳しい話は長くなるので、ここら辺まで。

私は人間としての形をなんとか保ちつつも、暫く人間を辞めているような気がした。
バイタリティ溢れていたあの頃の自分とは、まるで別人かのように、とにかく家に引き篭もり、病院以外全く外に出ない日々が暫く続いた。
今は、自分なりに日常生活を送ることができているが、常に省エネモードで生きているし、やはり月に数日間は外出が厳しい時があり、その期間は家での充電期間となる。

今でこそ、心療内科にお世話になるなんて全くもって恥ずかしいことではないと思っているし、人生において立ち止まる期間がない人なんていないのではないか、とすら思っている。

ただ、本当に「心身ともに病むことなんて知りません」みたいな顔をしている人に出会うから、恐ろしい。
恐ろしいというのは、そんな顔をしているが実は弱さを抱えているのかもしれないという「分からなさ」ゆえの恐ろしさと、本当に「弱さ」を全く知らないようなバイタリティに圧倒されることによる恐ろしさ、2パターンある。

けれども、意外と自分の周りにも自分と同じような経験をした人がいるのだと不意に知ることもある。

精神科に行ってたことあるよ。
いわゆる鬱病になったことあるよ。
人と会うことに対して拒否反応が出る時あるよね。

なんだ、私だけじゃないのか。
SNSで見つけた、どこか遠くにいる自分に近い人ではなく、ちゃんと近くにいる自分に近い人がいた。

しかし、今の私がそんなメンタルトーク(?)を共有できるのは、主に気の置けない友人たちに限られる。

自分の全てを曝け出せない環境で出会う人に対してはなかなか自分の「弱さ」を露わにすることができないし、誰かと「弱さ」を共有することもできない。

だから、時たま「弱さ」って隠すものなのかなとふと思うことがある。

そして、人はそれぞれが内に抱える「弱さ」が好きだったりする。
その人の「弱さ」を知ると、
元々大好きな友人が更に愛おしく思えたり、
キラキラ輝く芸能人が少し近しい存在に思えたりする。
ちょっと妙だが。


最後に、私が大好きでたまらない小説「羊をめぐる冒険」からこんな台詞を引用したい。


「人はみんな弱いよ」という一般論に対し、
「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」と鼠は言う。

そう、貴方は、どう弱いのか、それが知りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?