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自己肯定感が『低い』んじゃなくて、幸福感を『掴めない』という可能性

おはようございます。
人生100年時代に向けて《人生の質— Quality of Life —》を高める活動をしている《ライフデザイントレーナー》の丹後友里(@yuri_tango_0630)です。

先週仕事でSNSの警備員をしていた時にこんな記事を見つけてコメント付きリツイートをしました。

これについて、私なりの考えを話してみようと思います。


■日本人は遺伝子的に『幸せを掴みにくい』

コメント 2020-06-08 064916

↑はさっきのツイートの元ツイートになる記事のひとページにある一角です。
中段にある文章を読んでみてください。

日本的雇用や日本型組織は日本人に向いている、
という脳科学の専門家もいます。
日本人の遺伝子をゲノム解析すると、
脳内のセロトニン受容体の性能が低い人が
多いのですが、
セロトニンが足りないとストレスに弱くなり、
不安にかられます。
そのため、
日本人が安心できる長期雇用が向いている、
という説です。

これを見て、私は面白いな、と感じると同時に、ここもある種認知を改めるポイントがあるかもしれないと思いました。



そもそも『セロトニン』というホルモン(神経伝達物質)は、感情や気分のコントロール、精神の安定に深く関わっているホルモンで、幸せを感じやすくすることで心の平穏を保ってくれるのかセロトニンの役目なんですね。

しかしながら、日本人の場合、それが遺伝的に感じにくいという脳科学者の方もいるというのです。
どういうことかというと、まず下の図を見てください。

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これは『ホルモンが分泌されている』光景をイラスト化しているもので、イメージはこんな感じになります。

ホルモンは基本的に『神経節』という場所の『シナプス胞』の中でスタンバイしています。
脳から「出番だよ」という命令が来たら、シナプス胞から外に出て、対岸にいる『受容体』めがけて飛んでいきます
そして、受容体でキャッチされることで様々な化学反応が起きてホルモンが持つ効果が発動されるんです。

この流れを踏まえてさっきの話に戻すと、

日本人の遺伝子をゲノム解析すると、
脳内のセロトニン受容体の性能が低い人が多い

ということは、つまり、

ホルモン(の数)が少ないんじゃないんです。
キャッチする側の性能(機能)が低いんですね。

わかりやすく言うと、

『ピッチャーがどんなに(いい)球を投げても、
 キャッチャーがそれを受け取れずに取りこぼす』

つまり、

『幸せ(ホルモン)が飛んできても、キャッチしづらい』

ということになります。

ピッチャーがノーコンなんじゃなくて、キャッチャーがヘボい。
よく精神が不安定な方に『セロトニンを増やす生活習慣を心掛けましょう』というような話もありますが、この話の見解からすると、数を増やしてもしょうがない部分が見えてきます。
(『数打ちゃ当たれ』式のゴリ押しでいくのかもしれませんが……。笑)



さらに最近は『自己肯定感を高める』というワードが流行っていますが、自己肯定感を高めるワークをすることは良いことなんですが、そもそも人間の身体の機能的(しかも根幹である遺伝子レベルにおける)に幸福感を感じさせて精神を安定させてくれるセロトニンが掴みにくいんじゃ無理やり自己肯定感を高めることをがんばっても、かえって軋轢が生じてしまうことにもなりかねません。
以前樺沢先生のこちらの著書にもありました。


『負の感情はホルモンの分泌異常』だと。

自己肯定感を高めるために案外大事なことは、セロトニン受容体の性能を高めるために少しでもセロトニンを増やす生活をすることも必要なのかもしれません。




■日本型雇用はセロトニン不足で成り立っている?

セロトニンが足りないとストレスに弱くなり、
不安にかられます。
そのため、
日本人が安心できる長期雇用が向いている
という説があります。

こちらもまた興味深い話でした。

どうして日本人の働き方・キャリアの作り方で長期安定志向が多いのか。
上記の内容の補足を先ほどのセロトニンの話と絡めて説明しますね。

セロトニンの受容体(キャッチャー)の性能が低い

セロトニン(幸福感)が出ていても掴めない

幸せ・充実感(幸福感)を感じにくい

不安になる

安心できる要素が欲しい

長期的に守ってくれる環境を求める
(『長い物には巻かれろ』精神の発動)

だから『長期(終身)雇用』型が合っていた

という流れになるのではないでしょうか?
要は、変化を『進化』と捉えるのではなく、『脅威』と捉えてしまうんです。

自分の『心地良い・安心できる場所』を脅かす脅威として捉える
しかし、これは人類誰もが持つ『本能』なので仕方ありません。

ですが、中にはそれをプラスに捉え、果敢に外(変化)へ飛び込んでいく人たちがいます。

その違いは何なんでしょうか?



私は、『好奇心』ではないかと思います。



「失敗するかもしれない。だから止めておけ」
そうした本能からの警告すら打ち負かしてしまうほどの、『知的欲求』や『好奇心』『興味・関心』。

こうしたアンテナの感度が高い人ほど、好奇心から(自分にとって)より良く、高い、進化への道を進んでいくきっかけになるのかもしれません。

しかし、日本人特有の『みんなで一緒に』精神がそうした人たちの存在の足を引っ張り、その存在を組織という輪から排除し、自分達に都合のいい自分勝手な安寧を築いてきましたが、ここに来て崩壊し始めています。

結局、『好奇心』という欲求は本能でも抑えきれないのかもしれません。







目の前にある安心・安定という甘い幻想に目がくらんでしまうのは、日本人の遺伝子的には仕方のないことなのかもしれません。

ですが、これからの時代は不確実で先が見えない時代。
だからこそ、瞬間瞬間の自分の気持ちや考えを見つめ、自分の在り方を柔軟に考えることが必要になってくるのではないでしょうか?

そうした時代を生きぬくためにも、
太陽の光をたくさん浴びて、朝ご飯を食べ、『当り前』の生活を送れるように生活習慣を整えることを意識してみてはいかがでしょうか?