自分の「不得意」を知るだけで、生きやすくなる。
TANAYANです。
つい最近、久々に会う大学生の頃の友達4人と福島県へ旅行へ行ってきました。その夜、「言葉を連想して発言するカードゲーム」をやったのですが、これが私の「不得意」を知ることのできたカードゲームでした。
その時のエピソードも交えて、「自分の得意に時間を使う」ことと「相手の不得意に時間を使わない」のの2つお伝えするためにこの記事を残しておきます。
カードゲームで鮮明に感じた、
私の「人とは劣る能力」。
「ワードスナイパー」というカードゲーム
みなさんは、このカードゲームをご存じでしょうか?
ワードスナイパー公式ページ (rigoler.wixsite.com)
上の画像のようなカードです。
場に出た「お題」と「文字」の組み合わせを素早く答え、一番早く言えた人が得点をもらえる、というカンタンルールなゲームです。
結果はぼろ負け
旅行先の夜に友達とこのゲームを数回しました。
まず結果からお伝えすると、
友達4人:平均10枚以上
私:多くて2枚。たまに0。
いや、この結果にはびっくりしました。。。
何がって、”不得意”すぎてびっくり。
もともと不得意だと感じていた"瞬間的に"発言すること。
そう、私はもともと言葉を「口から」発することが苦手な人です。
例えば、誰かに話す、説明する、打ち合わせで発言する、ファシリテーションするとかがほんとに苦手。。。
「コミュ障」という言葉で片づけてしまうのはなんだか違う気がしますが、「その場の状況に応じて"瞬間的に"口から言葉を出す」みたいなことができない。
逆に、先に台本を作っておいたり、じっくり時間を置いて考えた上で言葉にしたり、こうしてパソコンのキーボードを打ってる時などは、問題なく言葉がでてくるんですが。
なので、「書けない」とも違います。
「脳」では言葉を発することができているものの「口」で言葉を発するとなるとできなくなる、みたいな感じですかね。
逆に「大富豪」や「UNO」は常勝。
ちなみに、「大富豪」と「UNO」などもやったのですが、こちらは常勝。
これらのカードゲームの共通点としては、
口から発することによる勝敗要因がない
手元にある状態から戦略を組み立てること時間が少しはある
などなど。
ようは、「瞬間」という時間的感覚が無いゲームです。
「これは脳の作りが違うのか?」とも思うほどガツンとくらった。
正直、喰らいました。
もともと苦手だったとはいえ、ここまでとは。
まぁポジティブに捉えて、「自分の短所」「自分と他人の違い」を知る良いきっかけになりましたが。
ちなみに、同じ大学の友達どうしなので、偏差値的に大きく異なるといったこともないはずです。話すことを仕事としている営業職のような友達もいません。
不得意は絶対ある。そこからどうするか。
人はだれしも「得意」なこともあれば「不得意」なこともあるはずです。
すべて「得意な人」、逆にすべてが「不得意な人」はいないはずです。
上記のエピソードからすると、私の場合、「瞬発的に何かを言葉にする」というのはおそらく、「訓練」でもしない限り難しいことなのだと。
感覚としては、「いつかはできそう」という感覚は無く、「いつまでたってもできないだろうな」という感覚です。もう不得意の何物でもない感じです。
そんなことである種「死ぬまでの悩みの種」ように思っていた最近でしたが、いや待てと。
自分の「不得意」に時間を使わない。
それって耐えてないか?
それって自分が絶対にやらなきゃならないことか?
できなくて落ち込んでる時間で、できることをしたほうがよくないか?
などを、ふと、思いました。
そしてこの悩みを持つ10年前の自分に伝えたいからこそ、この記事を書いています。
例えば、
自分が不得意な事をすることで起きた、起こらなくてもよかった「ミス」。
なんで自分は○○さんと同じ時間やってるのにできないんだろうという「自己嫌悪」。
「なんで自分はこんなにできないんだろう」と最終的には精神的にきてしまったり。
さらには自分のみではなく、職場の人といった周りの人からも「あなたと一緒に働くのしんどい」と言われてしまうなんてこともあると思います。
「不得意を知る」。
そして、「不得意だから」と割り切り、やらない。
もちろん、何もせずに不得意だからと「投げ捨てる」のとは違います。必ず1回は向き会い、不得意を知るべきです。
この記事で語ったエピソード関連で言うのであれば、「誰かに話す能力」ってどの仕事や場面でも有用とされる能力です。あって損の無い能力であることは、おそらくほとんどの人が「そう思う」「たぶんだと思う」と答えるのではないでしょうか。
ただ、全員が全員できるものではありません。※できな人がいるからこそたくさんのノウハウ本が出版されているのだと思います。
不得意なことをやってても、得意な人には絶対に敵わない。
不得意なことで努力しても、得意な人の努力には絶対に敵わない。
不得意を積み上げても、得意にはならない。
仮にとある行動が「あと10年つづく」イメージをしたときに「うわ、ちょっとこのまま10年は無理かもな」と感じるのであれば、やめたほうが良いと思います。おそらくそれは不得意です。
自分の不得意を見つけるだけでも生きやすくなる、そんな気がしています。
相手の「不得意」に時間を使わない。
視点を変えるとまた、「相手の不得意に時間を使わない」ことも、相手にとっても自分にとってもプラスになる気がしています。
例えば、上司が部下に向かって「お前話すの下手だな」なんて言葉は、あまり言わないほうがいい言葉だと私は思ってます(信頼関係があったり、悪ふざけが通じる関係なら話は別)。
なんだか、苦手という部屋に入れられ、さらに苦手というカギで閉じ込められている気分です。
今の私は30歳手前で世間的にはいい大人になりかけですし、上記のようなエピソードもあってその部屋に居続けることは無いですが、人によっては(昔の私であれば)脱出できない状況になることも十分あり得ます。
よく聞きますよね、「何でこんなこともできないの?」と。
これ、私は絶対に他人に言わないようにしている言葉の1つでもあります。
なぜなら、
その当人を完全に閉じ込める可能性のある言葉だから。
自分の時間と思考の無駄だから。
1つ目の「その当人を完全に閉じ込める言葉だから」は、先ほどからも述べているように、相手を精神的にも追い詰めてしまう事もあります。
「教育」の場面など、時と場合によっては難しい場面もあると思いますが、相手がやりたくないと思っていることに対して”まず真っ先に”この言葉を使うことは避けれるのではないのでしょうか。
2つ目の「自分の時間と思考の無駄だからは」、言葉の通りです。
相手ができないことに対して何でできないんだとイライラしたり、多大な時間を使って指導するのって、なんだかバカバカしくないですか?
相手に対してやったほうがプラスになると良かれと思って強く言うこともあると思いますが、それを相手がまじめに受け取るか、はたまた聞き流すかは、相手の状況次第。それとなく言っておいて、そのうち相手が「思い知る時が来るまで待つ」のもひとつ手ではないでしょうか。
※ちなみに、「教育」という事においては、相手が自主的に得意・不得意を見つけれるようにいろんな体験をさせてあげる事がひとつの大事な意識なのかなーと思ってます(教育したことないので説得力ないですが…)。
自分に対しても相手に対しても、
不得意を押し付けない。
有限な時間を使うなら、得意なことに時間を使う。
「嫌だなー」と思うことで耐えるのではなく「やりたい!」と思えるような楽しいこと好きなことに時間を使う。
自分に対しても、そして相手に対しても。
そんなこと思う今日この頃です。
加えて言うのであれば、「無理して得意を見つける必要もない」気もしています。だからこそこの記事のタイトルも「自分の不得意を知る"だけ"で、生きやすくなる。」としています。まぁ、ここはまた長くなるのでまた別の機会にでも。
ではまた。
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