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千と千尋の神隠しに見る親のいろいろ
子どもの頃、母親に手を引かれて「千と千尋の神隠し」を観に行ったことを覚えています。
「親が豚にされる」「働かないと石炭にされる」など子供心に「え?これホラーやん」ってなってました。
大人になって見直してみると「千と千尋の神隠し」ってかなり闇が深いことがわかります。
子どもの頃は親が豚にされるという絶望感で自分が千尋のように行動できるかといったら自信はありませんでした。
誰だってそうだったかもしれませんが
しかし、大人になってみるとこの両親の像というのがかなり闇が深いといいますか。
検索してみますと「千と千尋 両親 クズ」なんてワードで出てくるわ出てくるわ、親のやばさ。
特に千尋に対する愛情表現が皆無であることが気がかりになるようです。
私も同じような意見で「母親冷たいな」「父親単純馬鹿だな」と思いながら見ていました。
私はそんな親にはならん、ウチの親は大丈夫、と思っているとかなり容赦のない現実が待ってるかもしれませんが、少なくとも私の両親は不仲でビジネスライクな志向で結婚「してしまった」ため、そんな心配はありませんでした。
私の両親像
参考までに私の両親についてお教えしますと。
父親は「自営業」、関西の有名大卒でしたが内部生ということでそれほど優秀だったわけではありません。小学校の頃から身長170cmあり、体力馬鹿、喧嘩馬鹿で、俗に言う当時の「落ちこぼれ」という部類に入っておりました。どんなわけかあくる日、地元中学生との喧嘩に負けて公立中学に入ったら殺されると思い、私立を勉強したそうです。
その後は退学すれすれの成績と素行。大学のバイト先で恩師と呼べる人に出会い、その人について言ったらいつのまにかビジネスが成功していたという感じです。商才は並程度でそれほどあるわけでもないです。
私が生まれるまでは「パチンコ」「競馬」「競艇」で散財し、色んな人から借金までしていたそうです。母が妊娠しても病院にはあまり来ず、私が生まれるとなった時もお馬さんを見に行っていました。さすがに恩師にめちゃくちゃ怒られ、母親にもそれをネタに頭が上がらないそうです。
立身出世を夢見たわけではなく、恩師が東京へ行くとなり、母を連れて地元を離れて上京したという経緯があります。最初は安い安い1Kのマンションで一家三人雑魚寝の生活です。
私が小学校の頃、それなりに収入が入った父はとびきりよいマンションを買いましたがそこがシックハウス症候群の出るやばい物件だったせいで、住む場所がなくなり、安いビジネスホテル暮らしと安アパートを転々としていたこともあります。食事といえば、概ねチキンラーメンでした。
そうした経験からか、父はお金にはめっぽうケチです。どれくらいケチかといいますと必要なものは安いもの、ホテルも素泊まりの安いものを選ぶくらいにはケチです。海外旅行なんて目も当てられないでしょう。
しかし、お金があるということは父親のお金のやりくりがそれなりに功を奏しているという部分があります。これまでの苦労の分、私は恵まれているのだと思います。大学まで入れてもらえているのは恵まれている証拠でしょう。大卒を当然と思ってはいけないのです。
また、無謀なことはしません。一時期は運転手の職にもついておりましたが無理な運転はしません。ギャンブルも私が生まれてからきっぱりとやめました。私の喘息がタバコによる副流煙が原因かもしれないと知るとタバコもやめました。少なくとも千尋の父親のような無謀さや浅慮はありません。
ただ子育てには向かない人でした。そういう親もいるかと思います。子どもにどう接していいかわからない、自分がやらなかったことを子どもに強く言えないなど。
自由度の高い父親といえばそれまでですが、私の記憶として父と私をつなぐ縁というのは「経済」しかないというのは淋しいものです。
また、人生の楽しみをあまり見出さない人です。映画やアニメでは興奮も感動もしない人ですし、クリエイティブな力やパソコンなんかはからきしだめです。私の父親の世代はパソコン得意な人が多いのですが私の父はタイピングをしたことがありませんし、パソコンでメールを送ったりワードやエクセルを使うなんてのは宇宙人の技術だと思い込んでます。
母親は父の自営業の手伝いです。実質、書類等は母が作成しています。
父と同郷で、大した偏差値のない女子大出身です。そのため、父の学歴にコンプレックスを持っています。
しかし、確実に父よりも学力や教養に溢れています。いわゆる高学歴を持つ親よりも深い教養と知性を身につけていると思います。子どもとしてのバイアスがかかっているかもしれませんが、どの大人よりも、父よりも尊敬できます。
中学校の頃から、小説を読みあさり、時事を調べたり、映画を見たりしていました。私の映画好きは母の影響があります。小学校の頃から成績は上位をキープし、80点以上が当たり前だったそうです。
父と結婚した頃は「女の分際で出世かよ」と男にイヤミをいわれるような世の中でした。母は父曰くかなり優秀な人間で、出世するなら、恩師のポストを譲るなら母であるとまで言わしめたほどだったそうです。
しかし、父も男社会の典型的な人間で、母親には「家にいて子どもの面倒を見て欲しい」と平気で言える人でした。しかし、母はかなりシビアでドライな人で、結婚した理由は「贅沢させてくれる人だから」というものでした。
私が小学生の頃は、勉強ができなかったため、母親によく殴られました。地面を引きずり回されたこともあります。中学になって手がかからなくなってからは、そういうことも減りました。
友達の家に出かけるとラインや電話で連絡を取るようにというくらいには過保護な性格です。少なくとも千尋の母親のような淡白さはありませんでした。
子育てにはそれなりに自信がある方でした。自分がそれほど祖父母に育てられた経験がない(祖母には虐待以上の仕打ちを受けてたそうです)ため、私に対してはガラス細工に触れるような感覚です。
欠点といえば、今でこそ父は散財しなくなりましたが、今度は母が散財することです。それに関しては子どもである私がなぜか歯止めを利かせているという状態です。
千尋の両親のような親はいるのか?
私の両親が上記のような二人だったため、そんな両親いないだろうという狭い了見を持っていました。
しかし、私の伯母夫婦と従兄がまさしく千尋と両親の関係であることに気づきました。
伯母夫婦は私の両親よりも早くに結婚しました。東京で出世コースに伯父が入りかけたとき、伯母は地元を出たがらず、しかし、伯父と一緒にいたい。さらに伯母は東京に偏見を持っていた。これらの理由で伯父は出世を断念せざるを得なかったようです。
私は伯母夫婦が苦手でしたが、従兄は好きでした。ゲームに対する知識が深く、就職先もゲーム会社だったので趣味と実益をかなり兼ねてたんだなと思います。
従兄はまだ結婚していなかった私の母が世話をすることが多く、伯母はパートタイムをしていたかといえばそうでもなく、たんに伯父と一緒にいる時間を増やしたいがために、母や祖母に子守を押し付けていたようです。
そのため従兄は将来は母のようになりたいと言っていました。
伯母は従兄に対してとにかくイヤミというか嫌がらせばかりしていました。
母が激怒したエピソードがあり、伯母が従兄を「ブサイクな辛気臭い顔だね」と連呼してなじったようです。これに母が怒り、「あんたも見られた顔じゃないじゃないか」と従兄を祖母の家に連れて行ったという経緯があります。
伯母は伯父にべったりで、何をするにも伯父のあとをくっついていきました。伯父の実家へ行く時も、二人きりがいいのか従兄は祖母の家におあずけです。
私の記憶としては、例えば川で遊びに行ったときのことをよく覚えています。川辺で父と伯父がバーベキューをしていたのですが、私の母は焼いた肉をどんどん私の皿に入れ、その次に父の皿に入れていました。
しかし、伯母は伯父の皿にしか肉を入れず、従兄には私の母が肉を入れていました。
従兄と私が泳いでいても、父は寝ていましたが母はついていきました。それに対して伯母は伯父から離れようとしませんでした。
今にして思えば、「ああ、千と千尋だなー」と感じます。
親は子をどうするべきなのか?
最近、子どもの虐待死を耳にします。その度に親は何をしていたのだと思ってしまいます。
子どもを授かるということは悪いことではありません。国は産めよ増やせよの精神をもって国民を鼓舞しています。
しかし、子どもを産むにはそれなりの責任と将来設計が重要です。単純に産むだけの話ではないのです。そこに国の無責任さを感じざるを得ませんが。
結論すれば、子どもにひもじい思いをさせない、育てる際の明確な方向性があるのならば良いのです。しかし、私が聞いた話で信じられなかったのはペット感覚で産もうとする人がいるということです。
あるいは「デキ婚」というものもあります。これは将来性を考えないで子どもを産むという典型的な事例だと思いますが、それ以後の夫婦の話し合いでなんとかなるものだと思っています。
動物にも子育てがあります。子を産んだからには狩りを教えるのが肉食動物の基本的な子育てです。それは決して楽なものではありません。子を狙う外敵から身を呈して守ったり、時に傷つき、時に狩場がなくなり飢餓に苦しむ場合もあります。しかし、動物はそれでも子育てをやめません。
彼らに出来て、人間にそれが出てきないのはなぜでしょうか?
さらに子どもの頃から苦労することが美徳とまでされる風潮があります。新聞奨学生などはその典型でしょう。しかし、そんな状況を美徳とするのは間違いであると感じております。
私は子どもが苦労するべきではないと考えています。子どもが苦労をするという時点で、彼らは学ぶ、育む、得る機会をほかの子どもと比較すると失っているのです。
そんな状況生み出したのは決して子どものせいではありません。子どもは生きる術を知らないのではなく、生きるための機会を与えられないのです。
それはなぜか?
「親は子どもを選べるが、子は親を選べない」からです。
子どもは生きるか死ぬかから、大人に手綱を握られてしまっています。その後、すくすくと育つか、はれものとして扱われるかも大人しだいです。
だからこそ、子を産み、育てることへの単純ではあるが重要な議論をもっと大人たちにしてほしい。
余談
子ども食堂の話を小耳に挟みましたが、ビジネスにならないからと誰もやらない。あるいはそれをやるのは左派だという印象論が根付いてしまっている。だから、あまり進まず、結果としてボランティアの域を出ないそうです。
大人は勝手です。
現在、父と母は子ども食堂に関する議論を盛んにしています。母はなにかできないものかと思案している段階です。個人でも子どもを支援できる方法があればコメントをいただけますと幸いです。
今回は以上!解散!
※ジブリ画像は以下のHPが提供しています https://www.ghibli.jp/info/013409/
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