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雑記|記号としての感情


やっと自分の事に意識がむき出したように思う。向き出した剥き出しだ。

春になるにつれて、少し呼吸が深くなり、血が通う。

お金が欲しいけれど、そのやり方では欲しくないと言いながら啜るカップラーメン。

味噌汁とはタンパク質であるという驚愕の事実。

部屋の機能を上げる。

不機嫌を機能として利用しているヤツは滅せよ。

親を神とするから捻れる。ある所からは敬えど、崇めるな。

すき家の朝定を自宅で用意する。
いつでもペペチーを食べられる環境。
風通しを気にする。東洋の知識。

沢山部屋にチョコがある。

猫ミームは、クリエイターからすると、指人形というか、お話的な創作が楽なのだろう。ずんだもん?とかもそう。しかし役者や書き手的な色気はどうしても失われる。歪さがフォーマットに組み込まれる。

春だ。

部屋を片付けて臭気を認知する。

余裕が出来てきた。あと少しで、創作意欲も湧くだろう。仕事としてのクリエイティブな活動と、己のクリエイティブな活動は何かしら違う。生活という事自体がクリエイティブで、それこそが己のクリエイティブの原点で指標。そこを忘れてはいけない。仕事としてのクリエイティブはどこか過去と他人をなぞる。

五スロで一万円勝ち、ギョースーで豪遊。銭湯にも浸かる。

かろうじて暮らせる程度。

秋頃は今年も忙しいようだ。
遅れに遅れた仕事もなんとか終わり、またやらせて貰えるらしい。ライター業もするのか。カイシデンになれるだろうか。アムロ、俺はこの船を降りるぜ。