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短編小説|立っているだけで。

【1】

「隊員番号C10559です。明日の勤務指示お願いします。」

昼の日課。支社に電話して明日の勤務指示を貰う。

「明日の現場は…件名…集合場所は…集合時間は8時。モータースポーツのイベントの警備です。」

警備員になって、1年が経った。

こんな時勢で失くならなくて、無くならない、止まらない。そんな仕事だから選んだ。

売れない芸人。

名もなき存在。

バイトすらままならないと生きることすら、危うい。

「了解しました。」

「明日の現場は工事じゃないから、ヘルメット要らないからね。」

「はい。」

「16時には終わるから。」

「あ。はい。」

定時より早く終わる現場は有り難い。

「コンビニは近くにないけれど、弁当出るから。宜しくね。」

「有り難うございます。」

大人が弁当が出る事を喜ぶ。当然ながら、有り難いけれど。

その程度には貧困だと互いに暗に認識しているというのだろうか。

朝六時。スマホのアラームが鳴る。

無理矢理、身体を起こす。

カーテンを開けて、天気を確認する癖がついたのも、この一年だ。雨だと水道やガス、電気の工事は中止になり休みになる。金にならなくなるのに、休みになるのは嬉しいから雨が好きになった。

「おはようございます。C10559です、勤務確認させて下さい。」

「変更ありません。出発お願いします。」

10秒にも満たない電話をして、シャワーを浴びて、部屋を出る。鍵もしない。取られては行けないものなんて、ない。守る必要のない部屋は、自分の生活その物のようで好きではない。

自宅から60分以内の場所が現場になる様に内勤の方はあてがってくれる。計らずして、都内の電車の乗り換えも大概なれてしまった。

警備員の靴は安全靴といって、鉄板が入っているからひどく重い。散歩が趣味なのに、この靴で歩くのはとてもしんどく感じる。足が進まない。

リュックには、ヘルメット、誘導棒、赤と白の旗。レインコートや伝票が入っている。冬場の支給されるコートは暖かい代わりに、とてもリュックには入らないので着ていくしかない。

8時から…であれば7時40分には現場に着かなければならない暗黙のルールがある。そこから逆算して駅に向かい、駅から現場への最短距離をGoogle MAPで調べる。今日の現場は40分で行ける。

予定より早い電車に乗れた。

スマートフォンを取り出し、Bluetoothイヤフォンを耳に押し込む。

数日前のお笑いの大会のネタをYouTubeで改めて観ながら向かう。

同期や後輩が闘っている。

現実と夢が揺れている。

心がまだ揺れているか、確認する。

【2】

ふと、気が付くと、乗り換える新宿三丁目に停車していることに気が付いて飛び出た。

現場の最寄駅から徒歩5分のところで、他の隊員達と合流することが出来てホッとする。

警備員の仕事の半分は『現場に時間通り着くこと。』で終わっているのだ。

今日の仕事内容は歩行者が立ち止まらないように誘導するだけだ。立っているだけで金貰えて言いのぅとF-1イベントを観に来たであろうお客さんに言われて「本当にそうだよな。」と思う。

寒かろう暑かろう。

命を守るため。

潤滑にするため。

そんな存在。

「立ち止まらずにお進みくださーい。お手洗いはあちらでーす。」

強制力も命令することも出来ないから、お願いというスタンス。

公道を貸しきってのモータースポーツイベント。

こんなにファンがいるのかと驚く程の入場者。その誘導。

レーサーのパフォーマンスを背中で感じる。

夢を観る場所を、夢を実現した人が作っている。

多くの場合、イベントを観ることはなく、ただ、背中で感じることが多い。

バオオオオオウアアアアン!!!

そのエンジン音は、空気を揺らし、観てもいない僕の、F-1に興味もない僕の心を震わせた。

創らなきゃ。駄目だ。

夢を忘れそうになる。

生活とか、体調とか。下手をしたら、自分のじゃない誰かの感情が身体に入ってきて、どうしようもなく焦る。

それでもどうにか、自分で今やれることを、せっせと創ろう。

ただ、立っているだけではと仕事をしながら、頭を創作に向ける。これが現実逃避なのか、真面目なのか、不真面目なのか、効率的なのか、非効率なのかわからないけれど。

「おつかれさん。休憩どうぞ。休憩場所わかる?弁当とお茶貰いなよ。」

優しい国竹さんが休憩回しに来てくれた。前にも同じ現場になったおじさん。

「あ、はい。あの、コートは?」

「あぁ。あれ、嵩張るから着ないんだよ。」

「寒くないすか?」

「寒い。」

少し笑った。

休憩場所までつくと、誰も喋らずに弁当を食べているか、スマホをいじっている。

マジックで【弁当】と書かれた段ボールから1つ取る。

昆布のお握りと炊き込みご飯のお握り、申し訳程度の唐揚げ1つ。弁当と呼ぶには余りにも質素で簡素な冷えきったそれを皆が無言で食べている。

スマホを取り出し、また、行きの電車で観ていたお笑いの大会の動画を観る。

一緒にライブをしていた奴がウケている。悔しくないのか。そんなことも、もう感じないか。

自問自答してしまう。


【3】

休憩時間が終わり、配置場所に戻ると、観客は既にはけていた。公道に設置された観客席や色々な機材の搬出作業が始まっている。

「おつかれさん。もうやることないけど、定時の16時までいとけって。」

「あ。了解しました。」

国竹さんが教えてくれた。観客を誘導するために5メートル置きに立たされている我々警備は16時まで、多少の人通りはあるとはいえ、ここに立っているだけ。それが今の仕事。

立っているだけでは駄目だ。

少しでも16時までにアイディアとかフレーズだけでも作ろう。

『バイト中だろ!集中しろ!』

『自分なら、どうやる?』

『この間のコントをもっとこうやれば。』

『何と何を組み合わせるか?』

『寒いなぁ。』

『月に何本やれるか?』

『バイト中にこんなこと考えてていいのか。』

『寒ぅいぃ』

『あと一時間。いる?ここに?立ってるだけ?は?』

『マネージャーに連絡返してないなぁ』

『エンジン音すごかったなぁ。』

『朗読劇観に行くか』

『寒いなぁ寒いなぁ』

『犬でかっ。』

『1万円だから時給1300くらいか。まぁまぁまぁ。』

『寒いなぁ。』

「終わりだよー。」

国竹さんに声を掛けられて、ハッと意識が戻る。

「下番の電話、今日は全員しなくていいらしいから、そのままかえって良いって。」

「あ、わかりました。」

「弁当たべた?ひどかったよねぇ。」

国竹さんがヒヒヒと笑った。ひどかったすよねぇと言った。

荷物をまとめて帰る。

僕らが帰っても、モータースポーツイベントの撤収はまだ続いている。

「深夜までかかるらしいよ。」

国竹さんがヒヒヒとまた笑った。

人の夢の横で立っているだけで。

いつまでも、こんな所に。

立っているだけで。

良いわけがない。