雑記|この街の何処かでおかわり
「好き」という感情をsukiの二音にしたのは英断だろう。これが長文では何となく冷めてしまう。
それに対して、「嫌い」と言う感情をkiraiの三音にした事はどうだろうか。もっと濁音とか使っても良かったかもしれない。いや、そこまですると嫌われた側をオーバーキルし過ぎてしまうから、真ん中にラの音ぐらいで勘弁してくれたのだろうか。
毎日の暮らしを平凡で鬱々としたモノにしている。日に日に感度が良くなり過ぎていて、疲れるから自然とそうなっていく。感度が良いというのは聞こえが良いが、わかりやすく言えば、イライラとすぐしてしまう。人の会話や言葉が街に転がっている。それを回収しすぎてしまう。
仕事で六本木や銀座に撮影で行った時、これは誰かの夢だよなと思った。夢は移り変わって行く。自分の叶えられなかった夢が誰かの見たかった夢を僕に魅せる。憧れにはなれないのは、ロジックだ。そもそもなれた瞬間、それはもう夢でも何でもないモノになっているだろう。
春菊とか小松菜、高菜の使い方がわかった。
青菜の苦味が暮らしに色を添えてくれる。
この半年ほど、仕事に対して、言うことは言ってダメなら辞めたらええスタンス強化月間である。結果的に質も量も収入も増えたけれど、これに味をしめて、やたらキレ散らかすおぢにはならないようにしたい。
2月末に単独をやってから、疲労が抜ける前に幾つかの仕事が来たり、応募したりしておりまして、学んだことは単価が高く、ちゃんとしてるところの方が面白いモノを作ってる確率は高いと言うこと。媒体とかフォロワー数は割とあんまり関係ないかもしれない。面白くないものは続かない。その仕事の精査が終わり、ルーティンにこそなってないけれど、今後の感じがわかり安心した。
収入や活動域にやたらとTikTokが現れる。TikTokは我々のすぐそこまで来ている。で、あればこほ、舞台は大事だと思う。目の前で人が何かしてくれるとはなんと贅沢なのだろうか。そう言う価値観までもが未来に待っている。生身の人間がわざわざ集まり、何かして、何か思うだなんて価値が高すぎる。
昔、確か2008年とかだと思う。芸人を始めて、2年ぐらいの時。まだ大阪に住んでいた頃。一度だけ東京のライブに出た事がある。
東京で活動している作家さんがやるライブに後輩が出演するから、たなしゅうさんもどうですか?みたいな事だった。確か下北沢の会場だったと思う。
夜行バスに揺られ、50人ぐらいの会場。ワタナベの芸人さんとかに混じって必死でネタをした。
普通のインディーズライブなんだけれど、僕にとっては大冒険というか東京とはこう言うものなのだと胸に刻んだ。そして、五反田のアニメーターの方の家に泊まったはずで。
どういう経緯でその方の家に泊まったのか全く覚えていない。40歳ぐらいの方でジョジョの奇妙な冒険のOVAを作ったみたいな事を言っていた。襖に承太郎が描かれていて「これが東京なんだ!」と思ったのを覚えている。
その方が五反田のラーメンに連れてってくれて、奢ってくれなかった。奢ってくれないんだって思った。大阪から来てる若者達に奢らないんだとは言えなかった。うまいラーメンあるんだ美味かったら俺の勝ちだからね?とか言ってて、確かに美味かったけれど。うまいっす…と答えたら、じゃ俺の勝ちって事でって言ってたなぁ。
時は経ち、彼ぐらいの歳になった。
僕は東京で芸人・作家をしている。
最近、青森から出てきた若者と仕事をするようになった。まだ仕事場近くのご飯屋さんも知らないという事で美味い店あるんだよと連れてった。美味いっす美味いっすっていうもんだから奢っちゃった。
いや奢るよな普通?
奢っちゃわない?普通??
と思いながら奢った。
この若者がまたいつか誰かにご飯を奢る側になった時、何か思い出してくれたら良いな。それが街というモノなのだと思うんです。