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短編小説|しょっぱいナムル

『お疲れ様です。体調が優れないので、出勤出来そうにありません。当日欠勤で申し訳ないのですが、お休みさせて貰えないでしょうか』


「…なぁ」

洋司に話しかけられて、身体が思わずビクッとしてしまった。

午前十時。二段ベッドの下の段にいまだ寝ころがっている俺に向かいの作業机に向かったまま洋司が話し掛けてきた。

「なに?」

「明良さ、メールしたの?上司に」

「今…してるよ」

「いや、一時間前からそう言ってない?」

「あ…うん」

体調不良のメールを上司に送る事がこんなにしんどいことだとは知らなかった。

「明良、そんなの適当に送れば良いんだよ。休みたいって事実だけわかれば良いんだし」

ルームメイトの洋司がパソコンをカタカタと打ちながら、気楽に言ってくる。

洋司はフリーランスのWebデザイナーだ。在宅ワークというか、そもそも出勤する場所等はなく自分のテリトリーで、自分のペースで仕事をしている。大学のサークル時代の仲間。卒業後も二人でこの広めの1DKでのルームシェアをずっとしている。

「気楽に言うなよ。うちの店長さぁ厳しいんだよ当日欠勤」

「居酒屋だっけ?社員ぐらい働いてるもんな、お前」

カタカタと打っていたパソコン作業を止めて、キッチンでインスタントコーヒーを淹れてきた洋司が続ける。

「想像してみろ。な?お前が休んでしまったそのチェーンの居酒屋は確かに一人足りない分、提供スピードは遅くなるかもしれない。お客様には申し訳ない。かといって閉店時間を迎えた時にどうなっているかと言うと少しバッシングが遅れてしまったね疲れたねってぐらいなもんだ。お前がいなくてもなんとでもなる」

「…わかるけどそんなこというなよ」

マグカップに小さなスプーンを入れてカチャカチャとコーヒーを混ぜながら言うそれは少しキツイ。

「体調悪い時休むのはお互い様でしょ」

「そうだけど。熱とかないし」

「そう」

「なんか、しんどいなぁって」

「だから休みたいんでしょ?」

「でも、咳とかもないし」

「さっきから何の言い訳?」

「あぁ、まぁ」

確かに何に対して言い訳しているのだろうか。

「なんだかわからないけれど休みたいって一時間もスマホ握りしめてる時点で休め。寝ろ。うるさい」

「別にうるさくしてないでしょ」

「存在がうるさい。貸せ」

洋司にスマホを取り上げられた。

「なにすんだよ」

「…。はい。メール送っておいた」

「おい!」

「お前が休みたいなんて言ってんの聞いたことないんだよ。寝ろ」

洋司の言うとおりだ。

子供の頃から大学卒業まで皆勤賞だった。

学校とか習い事を休んだことがない。楽しく何時でも友達がいる場所は幸せだ。

大学の時に始めたアルバイトの居酒屋。明るくて元気な店が好きで何となく卒業後も就職せずに留まった。気がつけば社員さんよりも、この店舗での歴は長くなってシフトも沢山入れて貰っている。

明良さんって社員さんよりも社員さんですねと新人アルバイトの美智子ちゃんにいじられるぐらいには毎日店にいる。

ゴールデンウィークは特に忙しかった。

ゴールデンウィーク明けぐらいから、何となく体調が優れなかった。何処がどう悪いかわからないまま。

「大丈夫かな」

「大丈夫だ。休め」

「なんかずる休みみたいでさ」

「ずる休め。俺なんて毎日好きな時にしか働かないし」

フリーランスの仕事が羨ましい。

「でもさ、お通しの仕込み出来る人、今日いないんだよね俺しか」

「仕込むな。お通しカットだ」

「そんなこと洋司が決めるなよ」

「キャベツに味噌添えて出しとけーポップコーンどーんでもいいぞ」

うちはちゃんとしたお通しを出す店なんだ。そんなの出せるか。

「俺なんて毎日働いてるから、店に居場所あるんだよ」

「店に居場所あるんだったら、たまには休めよ。休んだってなくなんねぇから、居場所。俺なんか居場所ないぞ。Webデザインして納品してお金振り込まれる間に所在地ないぞ。居場所なくても生きていけるもんだぞー」

またパソコンをカタカタとさせながら、洋司が言う。

子供の頃から身体が強くて皆勤賞だけが取り柄だった。夏休みの地域のラジオ体操に毎日参加した。皆勤賞だからと図書券が貰えた。初めて貰えた賞だった。勉強もスポーツもたいして上手くやれない俺が貰える唯一の賞だった。それが自分の価値、アイデンティティーになっていった。

「…休み方がわかんないんだよ」

「おー?明良。簡単だぞ。好きなだけ寝て、好きなもん食べて、好きなもん観たり聴いたりしろ。スマホの電源切れ。風呂に浸かれ。それだけだ」

「そうだけど、うん」

「出前館とかUber Eats、やったことある?」

「ない」

「だよな。頼む時、俺のアカウントでやってたもんな。明良のアカウント作れば、初回割引でタダでなんか食えるんじゃね?」

「え?そうなの?」

「そうだぞー。タダで食う、食いたいもん最高よー」

洋司がそう言った時、俺のスマホにメールが届いた。『お大事に。大丈夫?ゆっくり休んでー』とだけ店長から。

「お大事に。大丈夫?ゆっくり休んでー…だって」

「はい、ずる休み完了ーよかったねー普段頑張って働いてるから当日欠勤しても怒られないパターンだねぇ」

「大丈夫かな…お通し」

「大丈夫じゃないのはお前だろー!」

洋司が笑った。

「なんだろうなぁ明良が羨ましいよ。休めるのは仕事と休みに境界線がある働き方だからだろ?」

「どういうこと?」

「フリーランスなんて、今が仕事中なのか、休んでるのかわからなくなってくるからさ。休めていいねってこと」

「嫌味?」

「羨望ですー。組織にいるお前が凄いってこと」

「フリーランスのが今っぽくて凄いでしょ」

「…明良と違って俺は学校もアルバイトも就職もなーんもしたくないって生きてきたの。なんもしたくないの。でもさ、飯は食いたいからこうなっただけ。…よしゃ!俺もここまでにして!今日は!休む!休むぞー!明良!俺の休みを認めろー!」

「なんだよそれ。…わかった。洋司も今日お休み!」

「やったー!お休みだぁ!明良のアカウントでさ、出前館しようよ!タダメシ!」

「うん、いいね。何にしようか?」

「ピザかなぁ」

「病人が食べるもんじゃないね」

その日は二人とも休んだ。

適当にピザを食べながら、久しぶりにゲームをした。ピザは憧れてた耳にチーズが入ってるやつにした。齧りついた瞬間に胸焼けした。

洋司が気になっていたという、スーパー銭湯に行こうと言い出した。五月の昼過ぎ、自転車で坂を下る。風が草花の匂いを僕に思い出させてくれた。

スーパー銭湯は平日だからか、空いていた。

お湯に浸かるのなんていつぶりだろう。

「よしサウナで整おうぜ。何分入ってられるか、勝負な!」と洋司が借りたタオルを振り回しながらサウナに勢い良く入って一分で出ていったのが笑えた。

風呂上がり、お食事処で飲むビールと唐揚げは最高で…少し罪悪感を感じてしまう。

「オープン準備?まだ言ってんの?ビールをそんな顔で飲むな馬鹿!ずっと皆勤賞で生きてきたんだから今日は人生のゴールデンウィークってことで遊ぼう!」と洋司が言った。

凄くダサいのが良いなぁと思った。

マッサージチェアを二回した。二回目でやっと気持ち良く感じられるほど身体中凝っていた。

畳と枕。休憩室にゴロンと寝転ぶともうなんでも良いやぁと思えてきた。

気が付いたら二時間も寝ていた。洋司もイビキを掻いて寝ている。

十八時。

とっくに店はオープンしている時間だ。

なんだか、休んでいるのに焦った。

スマホを見るとLINEにメッセージが入っていた。美智子ちゃんからだ。

『コンバンワッフル!お疲れ様です!体調大丈夫ですか?お通しのナムル三種盛り、初めて作らせて貰いましたー!ちょっとしょっぱいー!また教えてくださーい!!』

美智子ちゃんが仕込みやってくれたんだ。いつも見てたもんな。そっか。

洋司がムクッと起き上がって、帰るぞーとノビをしながら言った。

十九時、家について僕らは各々のベッドに飛び込んだ。どちらともなく「お休みなさーい」と言って電気を消した。