雑記|深夜にカパッ
ほんの少し色々落ち着いた。
部屋片付けや洗い物を無意識にしていたから、余裕が出てきたのだろうか。
普段観ない動画も見始めたから自分に安心した。
深夜にトマト缶とツナで簡単なパスタを作った。それなりに美味しく出来た。
新規の仕事や企画の準備や初回に追われていたら3月です。僕のような怠惰な人間には、やはり、休みは必要で。呼吸を整える為に昨日は恵比寿から家まで久しぶりに歩いた。
足が痛くなる手前ぐらいの距離を散歩するのが好きだ。インプットも出来るし家に着けば、良く眠れる。呼吸も深くなるから。
みんな何かを言いたいけれど誰に何を言えば良いかワカラナイ。言いたいとは何なのだろう。
ヒトのやりたいことを一緒に形にするのが仕事。ヒトの観たい景色を創るのが仕事。じゃあたなしゅうさんの、話は誰が聞いてくれるんですか?と聞かれて少し黙った。そうだよね私の事や考えを創るのが仕事。ワタシは私。私ばかりのヒトはウルサイ。私がないヒトは寂しい。
こんな事がしたい…はアナタだよ。アナタが出るよ。
あんな事したくない…もアナタだよ。アナタが知ってるよ。
スーパーに行く機会を増やした。肉と野菜で腹を膨らせたいから。意外とスーパーには苛立っているヒトが多い。なんだか、殺伐としている瞬間がある。穏やかに豆腐を買いたかった。木綿でも絹でも良いから。
面白い事をするための理論理屈ばかりを話してさ、面白い事がないが知ろになっている時がある。行き当たりばったりでとりあえず進めながら、後からまるで最初から考えていたように語れば良いのに。自信がない時ほど理屈に頼る。経験や感覚に頼ってみるのも、楽しいよ。
芸人さんは皆料理出来るものなのですか?と聞かれた。そんなわけはない。とりあえず、食に興味があるから大男なんだよと答えたら納得してくれた。
アニメの脚本やラジオドラマを書かせてもらって、少しだけ自分なりに掴んできた事がある。それはキャラクターの深掘り、フレーズの奥行き。大喜利や発想の面白さはあまり得意ではない。世界観の濃度を濃いくするためにはバランスや設定の精密さ、言葉の正確性とかあるけれど、やはりヒトが最初に視るのは人なのだ。良いフレーズというのは無理矢理こちらが書こうとしなくてもスッと物語に出てくる。良いフレーズは役者さんの体重もしっかり載るから、一見パンチラインじゃないようにみえても後半に効いてくる。フリ、盛り上がり、オチにそれが仕込めれば最高。強引なフレーズや設定というのは『その世界に生きているヒト』には関係のない世界の誰かの何らかの欲求によってねじ曲がって現れる。やはり、それは力の伝達力は弱く、遠くの誰かには届かない。力を抜くぐらいが一番良い。ジュウトゴウ。
少しずつ、脚本を書いていることが自分の考え方や自分のコントにも影響が出始めていて、何かしらかたちになっていくように思う。
少なくともメディアに流れたり、お金になるということによって、ネガティブな作品だとしても最後はポジティブな答えや希望を書こうと思うようになった。何ならその方が絶望が際立つのだからと。
自分の声がウルサくて眠れない夜は健康に悪くてもカップラーメンでも食べて血糖値あげてさがって気絶して寝ろ。自分の声ばっか聞いてたら私が誰かワカラナクなる。たまに寄り添うぐらいで丁度良い。適当に大事にして、適当に雑に扱って寝かしつけろ無理矢理。
春は短いから、ちゃんと感じられるように窓ぐらいは開ける努力を今年はしてみようと思う。