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【君どう・ネタバレなし】不自由を突きつけられた「君たちはどう生きるか」初動体験【感想】

全く事前情報がなく公開されたアニメ映画「君たちはどう生きるか」。
初日鑑賞し、特殊な体験からネタバレなしで語ります。
自分の考えをまとめるとともに、みなさんの参考になればと。


1.「不自由さ」を味わった

タイトルと1枚のポスター絵だけの情報から迎えた前日。
あまりにも気になりすぎて初日午前から鑑賞しました。
まんまと制作者の思惑にハマったわけです。

鑑賞後、「この体験は何だった?」と問われると、
「不自由さを味わった体験だった」ということでした。
ただ、不快な気持ちや不満があるわけではありません。

現在は、情報過多すぎる情報化時代です。
話題作となれば勝手に情報が入ってきますし、
気になれば携帯端末で色々調べて「行く」か「行かない」を
決めることが習慣になりました。
自分の好みに合うかどうかの判断材料が全くないまま、
劇場まで足を運ぶことは「不自由」だったなと。

2.「情報」は「水」に例えられる

「情報」は「水」として例えられます。
日本は蛇口をひねれば気軽に水が出て飲めます。
情報も手に持つスマホという端末機器があれば寝転がっていても、
気軽に手に入ります。

今では当たり前に手に入ると思っている「情報」。
それが、本作では供給元から止められて、全く流れてこないのです。ダムにより堰き止められてしまい、
我々は、喉の「渇き」を覚えるような状態になったのです。

3.「渇き」を覚えての行動

情報が手に入らないことのもどかしさは、喉の「渇き」を覚える状態と
似たものとなりました。
ダムで堰き止められた「水」(「情報」)を求めて喉を潤せるために
私は、家を出て水源である上流の川へと向かったのです。

情報が欲しい、そうなると水源である劇場へ行き映画を見に行こうと、
自発的な行動が生まれました。
日頃は寝転がって「情報」を手に入れていたのに。

そして映画を鑑賞することで、喉を潤すことができました。

4.「不自由さ」から、水を飲みに出掛けた体験なのだ!

本作は情報が全くないという不自由さを突きつけられ、
喉の渇きを覚え、上流の川まで行って水を飲んで喉を潤した経験なのです。

これが本作の初動経験であり、これを語ったことが私の感想です。

喉の渇きを覚え、上流の川に行き、「水」を飲み味わった。
この「水」を美味いだ不味いだと語るもよし、
そこに行くまでの苦労を体験として語るもよし、人それぞれなのです。

本作は、不自由さから「水」=「情報」を取り込んだ我々に対して、
「君たちはどう語るか?」(語らない選択肢も含め)を促されていると考えます。
不思議な体験でした。初週鑑賞した皆さんも色々と語りたいことはあるかと。


ということで前代未聞の話題作「君たちはどう生きるか」について
ネタバレなしで語りました。
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