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オウムサリン事件(1995年3月20日)は、社会を映す鏡

そういえば、昨日3月20日は、あのオウム真理教による“サリン事件”が起こった日だったことを思い出しました。

1995年(平成7年)3月20日にその事件は起こった

1995年(平成7年)3月20日に起こった死者13名、負傷者約6300名を出したあの恐ろしい事件。

あの日のことは、よく覚えています。
というのは、事件が起こった日の約1週間前の3月16日に結婚したからです。

そして、この事件が起こった3月20日は、ちょうど新婚旅行の途中でした。
新婚旅行は国内だったので、3月20日の朝は、宿泊していた金沢駅近くのカフェでコーヒーを飲んでいました。

そして、その時、東京がなんか大変なことになっているというニュースが飛び込んできました。

とはいっても、その時は私だけでなく、世間のみんながなにが起こったのか、テレビのニュースを見ても、よくわからない状態でした。

しばらくして、神経ガスの毒物”サリン“が地下鉄車内で撒かれ、霞ヶ関周辺は騒然となっているということがわかってきました。

しかし、病院でも最初は担ぎ込まれた患者の病状の原因がわからなかったそうです。

結局、それが神経ガスの一種“サリン”とわかったのは、自衛隊中央病院から聖路加病院に派遣されていた自衛官医官(医師である幹部自衛官)の「これはサリンだ」のひと言からだったそうです。

犯罪事件は、その時代を映し出す鏡

詳しいことは私もよくわかりませんが、この事件の背景にはいろいろなことがあるようです。

戦後高度成長期からバブルへ。
そして、バブル崩壊に突き進んだ日本社会のさまざまな歪みが出てきたんじゃないかと思ったりします。

バブル崩壊後、しばらくは「失われた10年」と言われていましたが、その後20年以上も閉塞している日本。

その間にどんどん歪んでいった日本社会。

そして、オウム真理教でサリンを作ったのは、高学歴、エリートの頭の良い人たちばかりでした。
そういった人たちの頭脳、心理を巧みに利用した教団。

なんかいろいろなことが重なり合った結果、こういう事件が起こっているような気がします。

それにしても、いつの時代もこういった犯罪や事件というのは、、その時々の社会情勢を映す鏡だなと思わずにいられません。

平成が終わり、新しい令和の時代を迎えた日本ですが、こういう恐ろしい事件は二度と起こってほしくないと思います。

日本はどこかでボタンをかけ違えたまま、そのままになっているような気がします。

そのなにかが言葉ではうまく説明できないのですが、ここ最近ずっとそんなことを感じています。

そして、コロナウイルス問題

そして、このサリン事件から、25年後の去年。

2020年は日本だけでなく、世界中が今まさに大混乱になっているコロナウィルス問題。

いまだ収束の道は見えず、世界中が混乱の渦にいます。
コロナウイルスの混乱を見ていると、いかに人間が無力かと思い知らされます。

個人的には正直、騒ぎすぎというか、なぜここまで大騒ぎするのかがよくわかりません。

ここまで国の封鎖が連鎖して、世界中の経済が大打撃を受けるのがわかりきってるのに、なぜ世界のリーダーたちはこここまで過敏になるんだろうという素朴な疑問があります。

たしかに、いまだウィルスの正体ははっきりせず、ワクチンが開発、接種がはじまったばかりですが、正直まだ怖いことだというのは間違いありません。

ただ、なぜ今回ここまで怖がり、そして大騒ぎになるのか?

近年では、インフルエンザやエイズ、SARSなどの感染症が発生しましたが、ここまで大騒ぎにはならなかった記憶があります。

まあ、専門家ではないので、よくわかりませんし、いい加減なことを言ってもよくないのですが、こういった社会的な問題というのは、やはりサリン事件と同様に、その時代を映す鏡なのかなと今まさにコロナ禍で大変な時だからこそ、強く感じます。



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