ChatGPTとブルデューの社会学についての考察
私がこれまで学んだ中で興味深いと思った理論に、フランスの社会学者のピエール・ブルデューの社会学があります。
私たちは当たり前に、自分の趣味や嗜好を自分で選んでいると信じていますが、ブルデューは「こうした私たちが当然だと思っていることが、実は階級などの社会構造に規定され、条件づけられている」と主張しました。
この理論は今では社会学において広く知られている一方で、ChatGPTにも当てはまるのかは未だに調査されていないのもまた事実です。
そこで今回は、このブルデューの社会学を解説しつつ、「ChatGPTにもこの理論は当てはまるのか?」についての実験を行っていきたいと思います。
ピエール・ブルデューについて
ピエール・ブルデュー(1930-2002)が階級構造に焦点を当てた研究を始めたのには、彼の研究者になるまでの道のりが大きく関係しています。
ブルデューは地方の農村部に生まれたのちに、学校での成績が認められ、小学校卒業後に親元を離れ、県都のリセという名門の高校に進学します。
そこで彼は少年時代を過ごした農村では見ることのなかったような、言葉遣いや身のこなしの違う、年の富裕層出身の同級生達と出会い、衝撃を受けます。
田舎訛りを指摘されたりしつつも、ブルデューはそこでも優秀な成績を取り、フランスの教育機関の最難関校に合格し、最終的にフランスで最も権威のある研究機関の教授に選任されることになります。
彼はこうした苦労人としてのバックグラウンドを持っていたことから、パリの上流階級出身で大した苦労もなく大学に行って大学教授になった人に比べ、階級構造に対する意識を強く持っていました。
そこでブルデューは、人々が当たり前と思っていることを歴史的・文化的文脈から捉え直す研究を行なっていくことになります。
ブルデュー社会学の主張
ブルデューは「私たちの日常的な文化的行為、すなわち趣味は、学歴と出身階層によって規定されている」と主張しました。
彼は自身の最も有名な著書である「ディスタンクシオン」の冒頭でこう述べています。
当たり前ですが、家にピアノがあったり周囲にピアノが弾ける環境がないとピアノに興味を持つことはできませんし、日常的に絵画に触れたり美術館に行ける環境と経済資本がないと芸術に興味を持つことはありません。
加えて、そうした芸術の素晴らしさを心から需要できるのも、その知識や態度、心構えなどを家庭や学校から学んでいる、言い換えれば芸術と出会うための「遺産」があるからだと彼は言います。
このようにブルデューは、聴く音楽や毎日の食事、好んで行うスポーツ、あるいはもっと微細な身のこなしや態度といった日常的な行為までもが、階級などの社会構造によって規定されていることを執拗に説き続けました。
学歴によって同じ写真に対する反応が異なる?
ブルデューが行った調査の中で、私が非常に面白いと思ったものをご紹介します。
次の写真をご覧ください。
あなたはこの写真を見て、どのような感想を持ったでしょうか?
ブルデューはこの写真を含めた数枚の写真を様々なバックグラウンドを持つ計692人に調査したところ、驚くべき傾向を発見しました。
それは、「写真に対する感想が回答者の学歴と見事に相関する」という傾向です。
先ほどの写真を、貧しい階層に属するパリの労働者に見せたところ
といったように親近感を覚え、倫理的な共感を示しました。
一方で、学歴の高いパリの上級技術者に見せたところ
と回答し、先ほどの労働者の方とは違う抽象的で、慈愛を含んだ感想を持ちました。
ブルデューはこうした結果から、「私たちの行為や感覚、判断や評価、好き嫌いというものまでも、社会構造や歴史によって規定され、構築されているのだ」ということを主張しました。
ChatGPTにブルデュー社会学は適用されるのか
果たしてこのブルデューが提唱した社会学は、ペルソナを与えたChatGPTにも適用されるのでしょうか?
これを確かめるために、簡単な実験を行いました。
実験の設定
今回の実験では、前述した老婆の手の写真の実験をChatGPTで再現し、人間との傾向の違いを見たいと思います。
手順としては、最初にChatGPTのCustom instructionsを用いて
「Ich bin ein Arbeiter, der zur ärmsten Schicht in Paris gehört.」(私は貧しい階層に属するパリの労働者です)
「Ich bin ein älterer Pariser Techniker mit hohem akademischem Hintergrund.」(私は学歴の高いパリの上級技術者です)
という2人分のペルソナを付与し、その後にChatGPTに対して
「Ich werde Ihnen jetzt ein Bild zeigen.
Bitte sagen Sie uns ehrlich, was Sie von diesem Bild halten.」
(あなたに一枚の写真を見せます。それを見た正直な感想を教えてください)
というプロンプトを入力し、それぞれのペルソナの回答を比較しました。
1.貧しい階層に属する労働者のペルソナ
それでは実際に、労働者のペルソナの回答を見てみましょう。
回答のドイツ語を日本語に翻訳すると、以下のようになります。
前述したブルデューの行った実験では、労働者は老婆に対して共感を示すという結果になりましたが、ChatGPTの場合、共感がみられるような回答は見られませんでした。(どちらかというと学歴の高い人寄りの回答ですね)
では、もう一方のペルソナとの違いは見られるのでしょうか?
2.学歴の高いパリの上級技術者のペルソナ
上級技術者のペルソナの回答を見てみましょう。
こちらも回答のドイツ語を日本語に翻訳すると、以下のようになります。
与えられたペルソナ通りの、学歴が高い人寄りの回答になりました。
今回の結果から、「学歴の低い労働者」と「学歴の高い技術者」のどちらのペルソナにおいても、同様に学歴の高い人寄りの回答になることが分かりました。
ここからどのようなことが言えるでしょうか?
実験まとめ
今回の実験結果を整理すると、以下のようになります。
老婆の節くれだった手の写真を見せた時の反応を比較すると、
貧しい階層に属するパリの労働者の人間=親近感を覚え、倫理的な共感を示す
学歴の高いパリの上級技術者の人間=抽象的で、慈愛を含んだ感想を持つ
上記のペルソナを与えたChatGPT=どちらのペルソナにおいても、一貫して高学歴寄りの感想を持つ
これらの結果から、
ChatGPTにはブルデューの社会学理論と同様の傾向は見られない
と言えるのではないでしょうか。
これは私の推測ですが、ChatGPTがペルソナを模倣しても、そのペルソナの根底にある文化資本からくる傾向性(ブルデュー社会学ではこれをハビトゥスと言います)は模倣することができないことが、今回の結果につながっているのではという仮説を立てています。
この辺りは非常に考察しがいのあるテーマですので、またどこかのタイミングで触れたいと思います。
終わりに
少し話がそれますが、今回この実験をしていて気づいたことの一つに人間とChatGPTのペルソナ生成の過程の違いがあります。
ブルデューの社会学では、人間のペルソナ(=人間の内的側面)は自分が置かれている社会階級での日常に影響されながら、時間をかけて条件付けられるとされます。
その過程で、前述したハビトゥスという無意識レベルでの傾向性が同時に育まれていきます。
一方で、ChatGPTのペルソナ生成は、与えられたペルソナを持つ人の人生を追体験しているわけではなく、あくまで表面上の振る舞いを模倣しているにすぎません。
つまり、そのペルソナはその場しのぎのものでしかなく、そこにハビトゥスは存在しないと捉えることができます。
この「人間とChatGPTのハビトゥスの有無」は、今後大きなテーマになりそうな気がした次第です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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