大人と子ども、わかり合えたり合えなかったり【マカオ母娘2人旅記録③】
モンテの砦で、子どもと大人の時間を考える
博物館で芯まで冷えきったからだが、日差しと湿気にからめ取られてあっという間に熱を持つ。でもまあ雷雨を思えばありがたいねえ、と話しつつ汗を吹き出しつつ、聖ポール天主堂と同じく1600年代に造られた「モンテの砦」の階段をえっちらおっちらのぼった(後にエスカレーターがあることを知る)。
モンテの砦は高台の上にある、大砲や兵器工場、貯蔵庫をそなえた防御施設だった。中国本土とつながる北側を除いた(「敵意はありませんよ」と示すため)東西南におかれた大砲は、実際にオランダ軍を撃退したこともあるんだとか。
この砦は、砦として、数百年にわたって文字どおりマカオを守ってきたのだ。
——というようなことを熱っぽく話しても、娘は「ふーん」という感じで。そういうとき、あらためて子どもと大人の、時間に対する感覚のちがいを痛感する。
あたりまえだけれど、5歳児がはかれる時間はごく短い。100年という時の流れについて「すごく長い」とか「おばあちゃんの生まれる前」とはわかるけれど、そこに実感はない。
これは「生きた長さ」とはあまり関係なくて、知識の問題な気がしている。すくなくともわたしは過去を知り、歴史を学び、なにかと比較することでだんだんと100年、1000年、1万年という長さに実感が持てるようになってきた。きっと天文好きな人は、10億年も「わかる」んじゃないだろうか。
だから「400年前から“ここ”にある」ことについて、わたしたちは圧倒的に感動がちがう。それに娘はまだ「残った」ことの奇跡も、「残す」ことのむつかしさも知らない。
朝ごはんで「おいしい!」という感覚を共有した直後に、まったくわかりあえない感覚がある。——それは、子どもがひとりの人間であるということを表しているようで、なんだかおもしろかった。
そのあとはひたすら街歩き。路地やエリアによって雰囲気がまったく違って、テーマパークみたいだ(海外で反射的にこう感じてしまうとき、バラ園に行って「トイレの香り!」と言うようなものだなといつも思う)。
歩きながらよく食べ、よく飲んだ。店先の扇風機にあたりながらマンゴージュースを飲んだり、干し肉を試食したり、若者に人気のパン屋さんbamuでエッグタルトを食べたり、娘が見つけたカフェ山上珈琲でコーヒートニックを飲んだり。
1869年創業、洪馨記椰子雪糕のココナッツアイスは砂糖不使用、さっぱり絶品だった。マカオはかつてマレーシアのココナッツを中国に運ぶ中継地点だったけれどいまではほぼ扱いがなく、このお店のように加工のみを行っているんだとか。どの土地にもどの時代にも、変化の波はおとずれる。
ランチはポルトガル料理屋マリアジーニャにて。ポルトの写真があちらこちらに飾られた明るい店内で、とても子どもフレンドリーだった。オーダーしたのはフランセジーニャと、付け合わせの山盛りポテト。そして冷えた白ワインにジュース。
フランセジーニャは食パンにハムやステーキを重ねてメルトチーズをたっぷりかける……というカロリー度外視の豪快な料理で、かつてわたしがポルトガルで食べ、あまりのボリュームにギブアップしたメニューでもある。
今回ふたりでもぎりぎりだったけれど、うん、やっぱりおいしい。いつになくたらふく食べ、店員さんに「5歳でナイフが使えるなんてgreat!」と褒めてもらい(母通訳)、大変ご満悦な娘であった。
④につづく
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