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声が出せないから、手をたたいた。2020年の「第九」を聴いて

泣き疲れた。帰り道もずっと涙目だった。冷えた風が目のまわりから温度を奪う。アイメイクなどとっくに溶けているし、鼻は真っ赤だっただろう。あたりまえにマスクをつける時代で、よかった。

NHK交響楽団による、交響曲第9番ニ短調 Op.125——いわゆる、N響の「第九」。

『歓喜の歌』でも知られるこの曲の演奏を聴いたあと、サントリーホールからの帰路、わたしはさっきまでの情景にあてられぼおっとしていた。

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「年末の『第九』なんて、オーケストラの餅代稼ぎさ」。そう揶揄されることもあるけれど、そんなことはどうだっていい。この曲はわたしにとって「おふくろの味」のようなものだ。育ってきた足跡。思い出。無条件に受け入れるもの。

というのもわが家には、「12月に入ると窓という窓を開け放ち、庭を越え往来に聞こえるほどの大音量で『第九』を流しながら大掃除をする」という恒例行事があった。

第1楽章から第4楽章まで、およそ70分。終楽章が終わると、また第1楽章の冒頭へ。エンドレスで流される「第九」とパタパタ家じゅうを走りまわる小柄な母の姿はいつもセットで、年末の風物詩だった(これが終わると、同じく「第九」をかけながらのお正月料理づくりがはじまる)。

スピーカーからこの曲が流れてくると「ああ今年も終わるんだな」と幼心にわかるようになり、同時になんとなく浮き足だち、明くる年にわくわくした。あの冷たい風とあたたかい日差し、ほこりと雑巾のにおいの中に流れてゆく「第九」はまざまざと思い出せるし、ほんとうの意味での「おふくろの味」は継承できていない気がするけれどこの習慣だけは引き継いでいる。

わたしがじっとしていられるようになってからは、生の演奏も聴きに行った。母はよくコンサートに連れていってくれたけれど、ときどきどうしようもなく眠たくなる回がある中、「第九」は演奏がよくても悪くても退屈しなかった。それぞれの楽器がおしゃべりしあっていて、メロディをトスしつづけていて、待って待ってと追いかけているとあっという間に終演。終わっちゃったね、また来年と、きんと冷えた外に母と出る。

いまなら、わたしが追いかけていたのはモチーフで、構成のおもしろさに心奪われていたんだとわかる。指揮者の解釈によってどれほどちがう演奏になるかをすっと理解できたのも、「第九」のおかげだ。

もちろん印象的な曲は、ほかにもいろいろある。けれど、「お母さんの味」であり年末限定の幼なじみのようでもある、じんわりと思い出深いのがこの曲なのだ。


……だからこそ。

12/27に行った「第九」は、おそらくずっとあとに振り返っても忘れない、特別なものになった。

だって、今年は、2020年だったから。

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【公演中止】。このスミカッコに囲われた4文字を今年、何度目にしただろうか。夏以降はずいぶん空気もゆるんでいたけれど冬にはまた感染者が増えると言われていたし、今年の「第九」はむずかしいだろうなと思っていた——なんといっても、「合唱つき」なのだ。現に、東京都交響楽団は年末の「第九」中止を発表し、『くるみ割り人形』に演目を変えていた。

だから当日を迎えられたというそれだけで、会場に入る前から胸がいっぱいだった。あっという間にチケットが完売した「収容率100%」のホールで、感染予防策を講じることがどれほど大変か。なんてありがたいことだろうと、パンフレットを握りしめてじっと開演を待つ。

世界最大級のパイプオルガンで奏でられる圧巻のバッハ2曲を経て、いざ「第九」へ。指揮者はスペイン、グラナダ出身のパブロ・エラス・カサドさんだ。

彼が身体をゆらし、1音目が耳に入った瞬間、涙がぼたぼたっと落ちてマスクを濡らした。生音の美しさと今ここにいられることのうれしさがないまぜになり、うれしく思わなければならないことが切なくなり、感情のやり場がわからない。

そんなわたしにはお構いなしに、会場にはびゅんびゅんと風が吹く。流れ星みたいな曲はこび。気持ちよくうねりに巻き込まれる。「あっ、ここにこんなメロディあったんだ」とうれしくなる。「えっ、そんなに短く切り上げるんだ」とおどろく。カサドさんのエネルギーがホールに満ちていた。

しかし第3楽章に入る前、合唱団とソリストたちが舞台に入ってきた瞬間、はっとした。

合唱団の、あまりの数の少なさに。彼らが全員、マスクを着用していることに。ソーシャルディスタンスを取っていることに。

お芝居や映画では感じることのないリアルが、そこにはあった。あらためて客席を見ると、もちろんみんなマスクを着けている。去年までとはちがう世界なんだと、すこしだけ現実に戻る。となりのおじさんもちいさく、「なるほど」と漏らしていた。

けれどもそんな雑念は、第3楽章がはじまるとすぐにかき消された。メロディアスだけれどあっさり重たくなくて質のいい生クリームみたい、とクリスマスに食べたケーキを思い出していると、そのまま終楽章に入る。合唱団はまだマスクを着けている。どうするんだろう、と思っていると。

各楽器によるモチーフのリレーが終わったあたりだっただろうか。合唱団の手がすっと顔に伸び、そして、各々のマスクを一斉に剥ぎ取った。

その揃った動作が美しかったのと……感傷的にすぎるけれども、まるで「コロナを克服した瞬間」の象徴のようで、ぐっとこみ上げるものがあった。

こうしてみんなでマスクを外す日がきっと来るんだ! そう希望的でロマンチックな気持ちになったのは、これが第一次世界大戦の終結やベルリンの壁崩壊時など歴史の転換点で必要とされ、演奏されてきた曲だからだろう、きっと。

そうして彼ら合唱団とソリストたちの伸びやかな歌声、緩急のある演奏にどっぷり身を委ねているうちに、曲は終わりに近づいていく。いやだ終わらないで、もう少しだけ聴かせてと願うけれどもちろん止めてほしくもない、そんな悶えるような感覚のまま、最後の音を迎えた。


——割れんばかりの、以外の言葉が見つからない。ホール全体が熱い破裂音に包まれた。

「ブラボー!」は禁止されていた。すばらしい。ありがとう。最高の演奏だった。それらを伝えるのは、手にしか許されていなかった。だからみんな頭の上に手を伸ばし、手をたたいた。たたいてもたたいても足りなかった。

カーテンコールは何度あったかわからない。けれども拍手はまったく弱まらなかった。オーケストラがはけても、客席が明るくなっても、なにかアナウンスが流れても、鳴り止まない。

するとからっぽになった舞台にカサドさんとソリストたち、合唱指揮者が戻ってきた。帰り支度をしようと立ち上がっていたひとはそのまま、客席に残っていたひとも立ち上がり、舞台に向かって手をたたく。彼らもそれに応える。「あなたたちに拍手だ」とジェスチャーする。それに対してまた、拍手が大きくなる。みんないい顔をしていた。涙ぐんでいるひともいた。わたしも泣きながら、となりの席の見ず知らずのおじさんと「よかったですね、ほんとうに、来られてよかった」とうなずきあって手をたたいた。

わたしたちは、声を出せない。だからいつまでも手をたたいた。手があってよかったと、ぼんやり思った。

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コロナ感染者数が激増していることを知りながら、どうしても「第九」を聴きたいわたしたちは、あの場に集まった。でも、チケット完売ながら空席もあった。集えなかったひと、集うことを諦めたひともいたのだろう。

はじめに「あたりまえにマスクをつける時代でよかった」と書いたけれど、ほんとうは、マスクを外すことに感極まる時代なんて終わってしまってほしい。そうすれば泣き顔を隠す必要なんてないんだし、みんな気持ちよく集まれるようになるんだから。

カサドさんはインタビューで、次のように言い切っている。

「この事態が終息したら、音楽は、これまで以上に大切で、なくてはならないものになるでしょう」

それはきっと、まちがいない。その日までわたしは声を封じ、ただめいっぱいに手をたたこうと思う。

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