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その「おもしろい」にこそ価値がある

ほんとうにうれしい、長らく2人体制だった会社に3人目のメンバーが加わった。わたしのななめ前に座る彼女はまだまだ緊張が解けない様子で、部屋を出入りする姿も遠慮がちだ。

わたしといえば、ほとんどはじめて真正面から「先輩をする」ということで、ここ数週間はとれたての春野菜のようにしゃっきりと生きている。といっても彼女のお世話をするわけでもなく、とにかく呪いをかけないよう——偏見を与えたり芽を踏んだり摘んだりしないよう——気をつけるばかりなのだけれど。

もちろん、自分がもう少しはやく知っておきたかったことやアドバイスは都度伝えていければとは目論んでいる。じゃあいったいなにがあるだろうかと考えたとき、まず浮かんだのがライティングや本のつくり方ではなく「あなたの『おもしろい』にはとても価値がある、そしてそれを身体の外に出してほしい」ということだった。

これは、わたし自身のちいさな反省がもとになっている。

我がライターズ・カンパニー「バトンズ」の代表、古賀さんは一見おだやかで後輩風(?)をひゅうひゅうと吹かせがちなキャラクターだけれど、そのじつ切れ味の鋭いひとだ。文章でひとを感動させられるひとは当然傷つける力もあるわけで、ふだんはその刀を鞘に収めてはいるがひとたび抜いたら最後、獲物の息の根は確実に止まることになる。これはもちろん比喩だけれど(あたりまえだ)、不誠実でぬるいコンテンツにはかなり厳しい。

しかも古賀さんは興味関心が広く、たとえば「この芸人さんどう思います?」と軽く尋ねようものなら時間をかけ歴史を遡りつつ体系立てて論じてくれる。ひとつひとつに自分の意見を持ち、それをアップデートしつづけている。

だからわたしは、入社後しばらく、オフィスで「おもしろい」が言えなかった。本、映画、お芝居、お笑い、あらゆるコンテンツの「おもしろい」が。

わたしの「おもしろかった!」は古賀さんの「つまらなかった」かもしれない。
「最高」が「凡庸」かもしれない。
教養のなさにがっかりされるかもしれない。

——そんな恐れだったり保身だったり見栄だったりのいろいろな要素が、わたしの口に封をしていた。斬られたことがあるわけではないのに勝手に萎縮し、それはオフィスの外の自分にも侵食するようになっていた。自分の「おもしろい」が迷子になった時期もある。

このつまらない呪縛が解けたのはいつだろう、はっきりとは覚えていないけれど、「でもわたしはこれがおもしろいんだからいいじゃん」とふっと開き直れたときの感覚はいまも身体に残っている。

そこからじょじょに自分からコンテンツの話をするようになり、いまや歌舞伎に行けば「猿之助さんが」と語り、小説を読めば「ここが最高で」と説明し、今期のドラマを評し、しまいには「とにかくこの映画を観に行ってくれ」と押しつけるまでになった(行ってくれた)。

「おもしろい」は、すこし大げさにいえば己の価値観だ。それを臆さずに表現できるようになったのは自分への信頼や、ある種の諦観が遅ればせながら育ってきたからなんだろう。図々しくなれた、とも言えるかもしれない。

「自分の中に感想があれば別に口にしなくてもいい」という考えもあると思う、けれどやはり考えは身体の外に出そうとすることで粒度も変わってくる。「なぜわたしは心ゆさぶられたのか」を一段真剣にさぐるし、それを言葉にして「宣言」することで、なんといえばいいだろう、自分の輪郭が濃くなる気がする。

そして相手と価値観を交換できるのも、「おもしろい」を身体の外に出すご褒美だ。たとえば好きな芸人の話から「コントと漫才のどちらが好きで、それはなぜか」といった問いを立てておしゃべりする、これは楽しい取材の時間だし、コンテンツに対しても自分に対しても再発見がたくさんある。もちろん相手のことももっと知ることができる。好きになれる。

いま振り返ると、かつて飲み込み、霧散させてきた幾多の「おもしろい」をもったいなく思う。申し訳なくも思う。口にした封をぴりぴりと開けて言ってあげたい、人生経験が乏しかろうとなにかのオタクじゃなかろうと関係ないよ、この瞬間のあなたの「おもしろい」は大切なものなんだよと。もちろん量を摂取し、体型立てて学び考えることは大切だけれども、第一歩は自分の価値観や感情に胸を張るところからだ。

それで。

わたしの数千倍控えめな新入社員の彼女は、やっぱり「おもしろい」を言うのが苦手のよう。「おもしろい」に正解も不正解も貴賤もないということは、オフィスで「これがおもしろくて!」とまくし立てるわたしの姿から伝わればいいなと思う。それで「わたしはこれがとっても好きで」と教えてほしい、もちろんすぐにとは言わないけれど。


なにより……自分より若いひとの「おもしろい」は、それだけで「おもしろい」んだよね。こればかりは、年を重ねないとわからない、かもしれない。


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