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あなたといるときの自分が好きだったから

娘は、町のおばあちゃんたちにとても好かれる。

もちろん、赤ちゃんやちいさな子どもは好かれるものだ、とくに高齢者には。だから娘が特別だと言いたいわけではない。

けれど「いまどき珍しくぷくぷくして」「やさしそうなお顔」「なんだかなつかしい感じの子」と、その決してハイカラとはいえない、ホッとする容姿がおばあちゃんたちの心をつかむのは間違いないようで、もっと赤ちゃんのときにはときどき手を合わされたりもしていた。

わたしは、そうやって話しかけてくれるおばあちゃんとおしゃべりするのが、とにかく好きだ。娘を産んでから「おばあちゃんたち」と話す機会が増えたことが、彼女が運んできた幸せのひとつだと思えるくらいに。

抱っこ紐の中、靴下を履いていない娘に「寒そうねえ」と声をかけ、そこから自分の孫とおヨメさんの話をはじめる。そんなおばあちゃんの話を聴くのは、産後数か月めからの日常だった。

スーパーはおばあちゃんの宝庫で、行けば毎回のように話しかけてもらえる。たとえば霊感が強いというおばあちゃんから野菜売り場で声をかけられ、そのまま魚売り場、肉売り場、レジまで回りながら聴いた彼女の半世紀はおもしろかった。満足に買い物はできなかったけれど。

つい先日は娘と餃子を食べた帰り道、犬と散歩しているおばあちゃんに呼び止められ、夜すこし遅かったけれど、たくさん話を聴いた。

80歳をたっぷり過ぎたこと。13人きょうだいで、もう妹と自分の2人しか残っていないこと。その妹とは、毎日電話でおしゃべりすること。

連れていた白いトイプードルは保護犬で、ゴールデンレトリバーと一緒に放浪していたところを捕獲されたこと。だからその子はゴールデンが大好きなこと。

孫が5人いて、そのうちのひとりは幼稚園からの幼なじみと自動車教習所で再会し(!)結婚したこと。もうすぐひ孫ができそうだということ。

——どれもこれも、すてきな話だった。

別れ際、娘が夜空をみあげて「濃い青と白がまざってる!」と指さし、「あの雲、このワンワンみたいだねえ」と言うと、おばあちゃんはわたしに向き直った。

「なにげない、でしょう? でもね、年を重ねると、こういうなにげない瞬間ばっかり思い出すの。ふふ、どうか、大切にね」

そう言うと彼女は、娘とわたしに手を振った。娘は「一緒に帰ろうよォ」と不満気だったけれど、わたしは目の前のおばあちゃんに抱きつきたい気持ちを抑え、ただ「はい」と答えた。夢を見ていたような気持ちで娘と手をつなぎ、家に帰った。

***

おばあちゃんが好きだ。おばあちゃんたちの表情も、彼女たちから聞くことばも、人生のいろいろも。

でも、おばあちゃんたちを大好きなのは、こうした彼女たちとのコミュニケーションだけが理由でないことを、わたしは知っている。もっとエゴな理由。

おばあちゃんといるときの自分が、好きなのだ。

ドリカムの『決戦は金曜日』の中に、「あなたといる時の自分がいちばん好き」という歌詞がある。まさにその感覚で、おばあちゃんの話を聴いているとき、わたしの中のやさしい部分がふわっと開いていく感じがして、それは自分をおだやかに幸せにしていく。

この幸福感はまぎれもなく、祖母との思い出が根っこにある。

昔むかし、はるか昔。ちいさいころ、大好きな母方の祖母にふと、こう言われた。

「ゆうこちゃんはね、ほんとうにやさしい。とってもヤンチャに見えて、ほんとはとってもやさしい子」

彼女がそう言ったのは、ほんの些細なできごとによる。姉とわたしといとこたちを祖母が公園に連れていったくれたときのこと、目的地が見えた途端、みんな遊具に向かってウサギのように走っていった。でもわたしだけが祖母の手をとり「ゆっくり行こうね」と言った、そうだ。

まったく覚えていない。たまたま、そんな気分だけだったのかもしれない。けれど幼いわたしの中心に、祖母のことばは刻まれた。

じつは元々やさしくない人間かもしれないし、やさしくない人間に成長してしまうかもしれない。でも、おばあちゃんの前だけでは、最高にやさしい自分でいよう。

おおきくなっても、ずっとそう思っていた。だから祖母といるときのわたしは、学校や家、職場との自分とはすこし違っていたと思う。「大好き」という気持ちひとつで、めいっぱいやさしい自分でいた。

祖母が「ゆうこちゃん」と呼ぶ声が、頬をさわり、頭をなでる手が、最後までとても好きだった。亡くなるすこし前、認知症となり老人ホームで過ごすこととなった祖母の口にごはんを運びながら、もう話せないんだ、「やさしいゆうこちゃん」を見てもらえないんだと、さみしくて泣いた。

おばあちゃんとわたしは特別に思いあっていた、と母は言う。それは、孫の中でも末っ子だったからかもしれないし、いや、別に祖母はそう感じていなかったかもしれない。

わからないけれど、祖母は少なくともわたしにとって、「いちばんやさしいわたし」でいられるひとだった。それは決して偽りの姿なのではなく、祖母の前で引き出される人格のようなものだったと思う。

だからずっと、いまも、「おばあちゃん」が好きなのだ。町でたくさんのおばあちゃんたちと話しながら、祖母の前にいた「ゆうこちゃん」が顔を出す。そしておばあちゃんから聴ききることができなかった、たくさんのことばを、人生を聴いて、満たされるんだろう。

***

いまもときどき、祖母の声を思い出す。あれは「祝いのことば」だった。じつは、祖母はほかにもいくつかの祝いのことばを送ってくれている。彼女のことばが生きているから、自分のやさしさや存在について、どこか無条件に信じられているような気がする。

わたしもだれかの、「あなたといる時の自分が好き」な存在になれているだろうか。かつての祖母のように。そうだと、うれしいのだけど。

わたしもだれかに、祝いのことばを送れているだろうか。もしかしたらそのことばをかけることが、子育てにおける親やおとなの役割なのかもしれない。

……ともかく、いまこの文章を書きながら、おばあちゃんに会いたくて仕方なくなっている。

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