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大人はいい、年の離れた「友だち」ができるから

8/18(金)

あたらしく本を出す先輩とおしゃべりした。

——いま便宜上「先輩」と書いたけれど、先輩後輩という関係なのかよくわからない。少なくとも年は離れているし、文筆家として大活躍しているから「先輩」で間違いではない。けれど親しさとか、一緒の会社にいたわけでも仕事をしたわけでもないことを考えると、「友人」と呼んでもそんなに間違いではない……という微妙な関係。いや、正直わたしは半分以上、友人だと思っている。

お互いの年齢差があるとき、「下」のほうから「友だち」と呼ぶのはは少しはばかられる。相手が「友だちの裕子」とだれかに紹介してくれたり、どう考えてもそう呼んでよかろうと思えたら「友だち」解禁するけれど、無闇にはずうずうしくなれない。

ただ、そんな年上の人たちと紛れもない「友だち」になれたとき、「大人になってよかった」と心から思う。2-3歳から10歳、15歳年上の友だちがいるなんて、たかだか1年2年の差で絶対的な上下関係が形成されていた中高時代には想像もできなかった。そういえば、大学に入学したてのころは浪人していた「年上の同級生」にどう接していいかわからなかったな。学校やコミュニティによるのかもしれないけど、「学年」ってどうしてあんなに輪切りの圧力が強かったんだろう?

少なくともプライベートでいえば、大人になってからの人間関係のほうが適当で自由で、いい感じだ。はじめて「そういう関係」を意識したのは26.7歳ごろだったと思う。はじめは楽しく遊ぶ「先輩たち」だったけれど、あるとき彼女たちのことを書こうとして「……うん、友人だな」と感覚と言葉がマッチした。そして無性にうれしくなった。わー、お父さんお母さん、こんな関係があるんだね。

もちろん「わたしたちって友だちだよね?」と聞いたわけではない、けれど、この感覚はあんまりズレない気がする(生意気なわたしと「いい感じ」でいてくれる彼ら彼女たちの器がおおきいことも忘れてはならないのだけど)。

こうして窮屈な輪切りからの脱出は叶ったけれど……いま気になるのは、いつか、年齢自体まったく気にならなくなるのかということ。つまり、そもそも「年上/年下の友だち」なんて考えもしなくなるのかなということだ。周りを見るとこのハードルは高そうだけれど、どうだろう。

なんて考えていて、ひとつ「ママ友」や「犬友」の関係はヒントになりそうだなと思った。自分以外の存在を介して知り合った人とは、はじめは「自分がサブ」である関係では、いろいろ飛び越えられるのかもしれない。人間関係って無意識で形づくられていくところもおおきくて、おもしろい。

そろそろ自分が「上の友だち」になることも増えてくるだろう。歳を重ねて見えてくるものがありそうで、ちょっと楽しみだ。

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