背骨とセンタリング

肉体を持つ自分の軸、物質肉体の軸は背骨にありますが、本質的自己の軸は肉体に依存していない、物質肉体的には何もないところにあります。背骨の掃除が大切なのは、肉体が持つ癖こだわりが背骨に書き込まれていて、着込んだアカシックレコードが折りたたまれて筒を成しているからです。そして「両親や環境から与えられた設定」という手掛かりから、過去世や来世にもたどり着くことができ、様々な設定が「両親のせい」というわけではなく、巧妙に編み込まれた今世の物語になっていることがわかります。

私の両親の母、私の祖母にあたる人は、父方も母方も良家の出で、いわゆる資産家や土地の有力者と言われるような家の出ですが、旦那さんになった人は両祖母とも、あんまり働くことが得意ではない自由人で、父方母方両方の祖母は「楽しく幸せだけど食べるものに困る」という生活をしていました。そんなこともあって、決して裕福でもなければ社会的地位があるわけでもない環境で育っているのに、私の両親はどこか優雅に見えるところがあり、マナーもなにも身についてはいないのにちょっと品よく見えます。「なんとかなるさー」というお気楽さがあります。私もそれをすっかり受け継いでいます。このストーリーは私の過去世にあるもので、インドネシアに貴族制度があったのかは知りませんが、そのころ没落した家の一員だったときのものです。

「両親や環境から与えられた設定」は背骨に書き込まれていますが、そこから自由になると、背骨ではないところにある軸を中心に生きるようになり、それは恒星に繋がるものです。恒星に繋がる軸は作るわけではなく、元々あるけれど忘れているものです。

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