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書きたい、読みたい、形にしたい。

7月にnoteを始めて以来、実は密かに毎月15日納期の月1更新を目指していて、そのルールは実は友達が決めてくれたのだけど、とはいえ誰に依頼されたわけでもない期日を律儀に守るべく過去4回更新してきた。

いつも書きたい内容はすぐ決まって、あとは時間の捻出だけだった。
しかしどういうわけか、今月、どうしても書けなかった。
先月行った北海道の話を書こうと思い、大量に買ったお土産の話とか、食べた美味しいもののこととか、思いを巡らせるのだけどピンとこない。筆ならぬタイピングが全然進まない。じゃあやっぱり最近よく思い出す雪の日の嬉野温泉旅行のことにしよう、と思うも写真を探す気が起きない。
あかん、今月原稿落とすわ!と誰やねん的な宣言を自分にし、友達にも連絡した15日。「書きたいもの書いたから気持ち(欲求)が落ち着いたんやろうか?」と言われた指摘は図星だった。

今月頭くらいかな、ふとしたきっかけがあって、もう過去の話したいって気分も終わったな、とふいに思ったのだ。ありがとう郷愁、しかし私はもうそれより未来の話がしたい、と。
えらい格好のいいことを書いているが、そしてその時はたしかにそう思ったのだか、実際今となってはまあそうはいっても思い出話もいいもんですよね、とは思っている。
とはいえ何か一つ私の気分が変わったのは事実なのだ。

それにしてもですよ、書きたいってどういう衝動なんだろう?
noteの世界には多いだろうが、私も本が大好きだった小中学生時代を送り、そうなると自分でも何かしら真似っこして書きたくなるのが人の常。物語を書いたり作文コンクールでブイブイ言わせたりした後、大学時代もずっと日記のようなブログを書き溜めていた。
生活の変化で途絶えたりもしたが、何かを書きたい気持ちはずっとどこかにある。でもその気持ちを同じ温度で保つのはこんなに難しいのだと今回私は痛感した。いや世間では周知の事実かもしれないが、月1の頻度ですらというのは我ながら驚きだ。
それはネタがあるかどうかではない。目に見えぬ、自分だけの衝動。

そして同じく本(文章)を読みたい気持ちも、誰のためでもなく、ただただ私の中に衝動として存在していて、寄せては引き寄せては引きと、ある時は私を掴んで離さず、またある時は古い友人のように連絡ご無沙汰になっているよなあと思う。特に、読みたい、のムラに関しては近年かなり顕著だ。

さらにもう一つ、形にしたい、という衝動にも触れておきたい。クリエイティビティということになるのかな。
これも同じく、確実にマグマのように存在はしているがいつどういうタイミングで活発になるのか、あるいは沈静化するのか分からない気まぐれな衝動で、この歳になっても、というかむしろ年を重ねれば重ねるほどうまく扱えず困っている。だけど蔑ろにはしたくない、私のエネルギー源でもある大事な衝動だ。

しかし世の中これらを安定感を持ってコントロールして(そうに見え)る人の多いことよ!いやーそういうところがダメなんだよなー私は。としんみり自己分析した、いよいよ寒くなってきた秋の深夜。ロイズのポテトチップチョコレートを食べながら。


そんなわけで私が書きたいことってなんだっけと色々思いを馳せていて一つ気づいたことがある。

書けそうなネタは探せばたくさんあるだろう。だけど私はやっぱり輪郭のないもの、固体ではなく気体のようなもの、そういうものを書く努力をしてみたい。
ぶわぶわっと立ち上がった気体を私の心の温度で温めて、ふいに水滴になる瞬間を捉えるのだ!いつまた蒸発して見えなくなるか分からないそれを逃さないで捕まえられるか・・!?

個体をキリッと箱から出して見せてくれるたくさんのこの世の文章たち、面白く、また価値も感じるが、私が目指すのはそこではない、はず。ずっと昔から、そうだった。それができなければ意味がない・・と打って、消した。
まあなるべく、なるべくね。気合い入れすぎないでいこう。

というわけで次回は、先月の弾丸北海道旅行にまつわるお話の予定です。(結局・・!?)

All Photography by 田中閑香


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