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『目の前にある関わりを大切にしたい』空間プロデューサー “竹田周平”さん

空間プロデューサーの竹田周平さんにインタビューしました。竹田さんは、地域交流の場である“小竹向原交流会”の発足人です。今回は、地域交流の場をするようになった背景や想いをお聞きしました。

プロフィール
出身地
:石川県小松市
活動地域:東京都練馬区
現在の職業及び活動経歴:空間プロデューサー・会社員

地域の交流の場を始めたきっかけとは・・

記者:地域交流の場である“小竹向原交流会”を始めようと思ったきっかけは何ですか?
竹田周平さん(以下、竹田敬称略)
:小竹向原交流会は、第1回目から音楽喫茶アカシアの店主 渡邊啓吾さんと共催でやっています。最初のきっかけは、渡邊さんがまちおこしをしたいと言い出したことですね。それから、地域をより良くすることを目指してやってみようとなりました。


記者:小竹向原交流会は、今や41回も続いていますね。初回はどのような様子でしたか?
竹田:
第1回目は、地域をより良くしようと『目指せ代官山!』と掲げたりして、まず場をやってみたんですね。何から始めたらいいか分からないけど、まずは小竹向原地域に住んでいる有力な人達を集めて、地域の人と話す場をつくりました。珈琲1杯で2時間くらい交流の場をつくったのですが、まじめな硬い場になってしまったんですね(笑)

色々な人がいるので少しハードルを下げようと、2回目からは気軽に参加できるような飲み会にしてみました。近所に住んでいる人で何か新しく始めたい、自分の活動を伝えたい人などがふらっと来られる場所にしていこうと思いました。

記者:音楽喫茶アカシアさんは、どのようなきっかけで知ったのですか?
竹田:
出身は石川県で、大学は福岡で4年間住んでいいました。その後、社会人になって小竹向原に引越してきました。珈琲が好きだったことと、アカシアさんの雰囲気が好きで通うようになりました。店主の渡邊さんとは、そこからのご縁ですね。

地域の価値は、外の人達が顕在化させていく

記者:まちおこしや地域コミュニティに興味をもったきっかけは何ですか?
竹田:
きっかけは大学生の時です。まちづくりや、まちおこしの授業があり、福岡県八女市で活動したことがありました。たまたま僕が学生だったこともあり、前向きに受け入れてもらうことができました。

その活動を通して、地域の価値は、外の人達が顕在化させていくことが大事なんだと思いました。八女市で体験させてもらったことで、自分が住んでいる場所にはどんな魅力があるのだろうとアンテナを張るようになったと思います。

「まちおこしには、よそ者とバカ者が必要だ」という話があります。住んでいる人たちには当たり前になっていて、当たり前に享受しているものの魅力に気づきづらい。でも、よそから来た人はそれを面白がってくれる。もともと住んでいる人達に「おもしろいですね」と伝えると、「そうなの?何にもないしね」と返ってくることが多かったんです。それが、とても勿体ないことだと思いました。

八女市での体験をきっかけに、社会人になり小竹向原に住むようになってから、小竹町史を読んでみたり、住んでいるエリアの地図をもって歩いてみたりしました。今思うと20代らしいなと思いますね。

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記者:探求心がありますね。昔から探求心がある子どもだったのですか?
竹田:気になってしまうんですよね。20歳ぐらいの時に家系図を調べたことがありました。祖父は医者で、私が小4くらいの時に亡くなりました。祖父は米作りしたり、畑を耕したりしてる姿くらいしか覚えていないんですけど、石川県で小さな田んぼを持っていました。「竹田」だから、きっと農家だったんだろうな、と子どもの頃は思っていましたが、祖父が医者だったという話を聞いて、実際にどんな人だったのかが気になりだして、人づてに話を聞いて調べることにしました。祖父が何をやっていたのか気になり出して、人づてに話を聞いて調べることにしました。

そしたら、祖父は2回戦争を経験していて、中国満州に行っていることがわかりました。モンゴルでは軍医をしていて、その写真がとても衝撃的でした。祖父は、人種関係なく治療していたっていうんですね。現地の人からも慕われていて、日本に帰国するときも中国の製法でつくられた日本人形を贈られたそうです。歴史の文脈の中で、自分の立ち位置を見直すことは大事だと思い、そこから家系図を調べ始めました。役所に行って、色々と資料を取り寄せて、幕末ぐらいまで遡りました。

色々調べている中で、自分の先祖に美術に長けていて、本当かどうかはわかりませんが、天皇陛下に絵を贈った人がいたという逸話が残っていました。その人が描いた絵が、今も家に飾ってあります。私の叔母さんや祖父は絵がすごく上手で、父もすごく絵がうまかったんです。父方の叔母さんも美術系の大学へ行って、僕の妹も美術系に行きました。私も、学生の時にデザインの学校行っていたので、血の繋がりって関係あるなと思っています。

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目の前にある関わりを大切にしたい

記者:竹田さんの夢は何ですか?
竹田:
その質問が1番難しいですね。正直いうと、夢というとないですね。ただ、あり方みたいな話をするとしたら、身の回りの存在、すぐ目の前にある関わりを大事にしたいというのがあります。今、マンションの管理組合の理事に立候補しましたが、それもその一つですね。自分が中心というよりはサポーターでありたい気持ちがあります。その方が、心地がいいんですよね。

自分が!というのはないですよね。関わりの中を生きているというのが強いです。サポートをしていくのが楽しいっていうのはそういうことなのかもしれませんね。正直なところ夢はまだ見いだせていなくて、探っている段階です。でも、失敗してもチャレンジできる土壌であり、色々な人と関われる社会があったらと思っています。


記者:竹田さん、本日はありがとうございました。
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編集後記
ご自身の家系図を調べたり、地図を片手に町を歩いたりなど探求心がすごいと思いました。個人主義の風潮が強い時代に、自分の事よりも人をサポートしようとする在り方は見習うべき姿勢だと思いました。探求心や、人をサポートする姿勢は、もともと日本人が備えているものなのではないかと、竹田さんのインタビューを通して考えさせられました。竹田さん、ありがとうございました。

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。