「自信のない私」にサヨナラする方法
自信のない私はこうやってできた
長い間生きてきてだいぶんマシになったけれども、若いころは人からどう見られているかを過剰に気にしすぎて、いちいち人の言動に振り回されて疲れ果てていた。
本当はいやでも嫌われるのではないかという恐れや、仲間外れになることが怖くてNOと言えなかった。
利用されていることに怒りがあっても状況を変えることが出来ず、心の中には鬱屈した思いが常にあって、健全な人間関係を結ぶことができていなかったと思う。
そんな状態だから恋愛なんてうまくいった試しはない。
私は「ダメ人間」のラベルを自分に貼っては落ち込み、自分バッシングをし続けた。
人から否定されたり非難された日には、その声は大きくなるばかりだった。
自分の考えや選択肢が正解なのか分からないので、いつも判断基準は自分の外にあった。
人間は進化の過程から見られるように、コミュニティで生きてきたので、仲間から拒絶されることや孤独になることはサバイバルな脅威だったと言われる。
その名残は現代にも続く。
そして、そのため脳は安全に生きることを重視する。
人目を気にして生きることは生まれた時から全ての人の中にデフォルトとしてあるとも言える。
問題は、人の意見を信じすぎて自分を信じていないこと。
自信がないので生きたい人生を送ることができないことにあった。
まずは自分と向き合う
雑誌や本にあるように自信を持とう!と言われてもそう簡単にできることではなく。。。
なので、まずは自分の内側を見ていくことから始めることをオススメする。
人の声が大きく聞こえてしまうなら、誰の声が大きく聞こえるのか、どの声を自分が重要視しているのか気づく必要がある。
その声の言うことを聞くのではなく、自分にとって本当にプラスになるのかどうかを見極めることが重要。
そうでなければ聞く必要がないから。
すごく辛い作業かもしれないけど、自分を責める声を聞くことも避けては通れない。
そうするには自分が自分のことをどう見ているのか書き出してみると良い。
頭の中で反芻してしまうと脳の中でその考えが強化されてしまうから。
書くと少し自分から離れるので、自分て自分のことこう思ってるのね、と
俯瞰して見ることができる。
そして、次は自分は本当はどうなりたいのか、どう生きたいのか、どう人と関わりたいのかを書き出す。
そうすることで、自分の本当の思いが理解でき、自分のコアが見えてくる。
人から何か言われても、聞くべく言葉と無視して良い言葉の区別がつくようになってくる。
人から言われたことが事実なのかどうかを見極める必要がある。
「スポットライト効果」という理論がある。
それによると、自分はスポットライトの中心にいて、他者から注目されていると思いがちなのだが、実際は誰もが自分にスポットライトを当てていて、スポットライト効果のせいで他者から批判的に見られていると思い込みやすいと言うのだ。
社会的に不安を感じる人は、自分が人からどう思われているかを人並み以上に気にかけることがとあることがわかっている。
思い返せば、誰もいない舞台でひとり悲劇のヒロインを演じていたかも。。。
そうならないためにも、人から言われたことが本当に言われたことなのか、思い込みなのかを意識して自分の中で判別する必要がある。
自信を育むためにできること
前述の通り、私は自信がない人間だったので、自信に溢れ、良い意味で自尊心が高く人に好かれる人がとても羨ましかった。
どうやったらそういう風になれるのか全くわからなかった。
いつも自分にダメ出しばかりしていたのだけど、一つだけ自分に自信をつけることに効果があったと思えることがある。
それは、誰も自分のことを知らない土地に身を置くこと。
就職したときは、東京から大阪に、仕事を辞めてからはNYに行った。
いずれも知り合いはゼロの環境で、一から人間関係も生活も作っていかなければならなかった。
不安や心配もあったけど、今まで縛られていた価値観や自分像を一旦リセットして、新しい自分でやっていくことがとても自由で新鮮だった。
全て順調満帆ではなかったけど、どこでもなんとかやっていけるという自信がついた。
よく、コンフォートゾーンを出ることで未知の世界に足を踏み入れ、自らの恐れに向き合おうとする勇気が自信を育てる、と言うがまさにそんな感じだった。
自信を育てるには勇気が必要だ。
その他にも、どんな自分も受けいれ、自分への思いやりを持ち、弱さや恐れと対峙していくことも不可欠だと思う。
自信を持つことは決して簡単ではない。
でもできないことではない。
それだけは自信を持って言える。
まだ完璧ではないかもしれないけど、自信のない自分にサヨナラできたから。
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