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クルミッ子妄想曲

先日、クルミッ子の箱入りと
切り落としの袋詰めを同時に
頂く機会がありました。

もちろんどちらも同じ味。

綺麗にカット、個包装されて
箱に収まっているのは
よそのお宅への手土産用に。

片や、切り落としは気兼ねなく
食べられる家庭用に。

そんな風に使い分けらることが
多いのではないかと思います。

わたしはどちらかというと、
綺麗に個包装されたものより、
切り落としのほうが
サクサクのクッキー部分が
多くて好きなのですが、
皆さんはどうですか?

ある時、切り落としを食べながら、
ふと思ったのです。

同じ材料、同じ製法で
中身は全く一緒なのに
見た目が違うだけで
運命が変わってしまうのね、
クルミッ子と切り落とし。。。

ここからはわたしの妄想です。
あまり真面目に捉えないでくださいね😆

もしもわたしが切り落としだったら
どんな思いがあるのだろう。。。

・綺麗にカットしてもらいたかった

・雑多に袋に入れられるのではなく、
透明なセロファンに丁寧に
包んでもらいたかった。

・食べられる時には
素敵なお皿の上にのせてもらいたかった。

などなど。

自分のことをクルミッ子に例えて
考える人は他にはいないと思いますが、

クルミッ子に口があれば
こう言っているでしょう。

綺麗にカットされて箱に収まって、
素敵な人に選ばれるクルミッ子に
わたしはなるのよ〜!

(な訳ない。。。)

でも、例えば
綺麗にカットされること
個包装されること
丁寧にお皿に乗せられることを

自分の容姿や学齢、仕事、
または生育歴に当てはめて
考えるとどうでしょうか。

自分にはなくて他の人は
持っているように見えてしまい、

外から見える自分を気にしすぎて
本来の自分が見えなくなって、

外側を取り繕うことに精一杯

なんてことになってないでしょうか。

(あら、かつてのわたしではないですか!)

自分の見た目を気にしたり、
学歴をつけたり、有名な会社で働いたり、
人から一目置かれることが
良くないといっているのではありません。

頑張って、努力して出した結果だとしたら
それはそれですばらいしいこと。

でもそこがゴールじゃないかもしれないし、
いつまでも切り落としの自分を
認められないままでいると
それはそれで苦しくなってくると思うのです。

切り落とし=ありのままの自分を
自分自身が受け入れて、
その自分にOKを出せて、
存在自体を大切に思えないと、

いくらスペックが上がったとしても
結果的に幸せな状態にはなれないのです。

切り落としには切り落としの良さがある!
それが好きな人もいる!

不恰好でも、雑多に袋に入っていても、
そんなクルミッ子が好き❤️

と言えるわたしでありたい✨

クルミッ子からの妄想話でした🐿

お付き合いくださり、ありがとうございました!

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