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ボーダレス、ノーボーダー
そんな言葉を耳にすることがあります。

その言葉があると言うことは
現実に物事には境界線があることを
示しているわけで。

そんな境界線をアダルトチルドレン
(以下AC)のSNSを見ても
実際のセッションでも感じることが
ひとつあるのですが、どれだけACが
自分のことを理解してもらおうと
非ACの人に話してもなかなか
理解してもらえないということ。

一般人だけではなく
カウンセラーや医師であったとしても
ACの複雑なこころの傷を理解して
治療的コミュニケーションを行うことが
できない専門家もいます。

ACと非AC

両者の捉えている現実世界は
親との関係性、価値観
それに伴った家族の在り方が
全く異なる世界として存在します。

【家族とはかけがえのない大切な存在】
という非ACの現実世界と

【家族とは血の繋がった赤の他人】
というACの現実世界

その二つは決して相いれない世界であり
互いに違う世界観を持った人同士が
家族についての話をしても
理解すること難しい。

仮に【言っている内容はわかった】
という意味での理解はできても
非ACの持つ家族への思いに対して
共感や同意はなかなかできないのでは
ないかと考えています。

とりわけ、日本の文化的な家族観も
あいまって家族は大切にするもの
という古典的な価値観は余計に
ACを苦しめる一因になっています。

・親も大変だったんだから

・あなたにも悪いところがあったでしょ

・誰もが子育ては初めてなんだから

・そんな親いないでしょw 噓でしょw

・親のせいばっかりにするな

その言葉で元からある傷が
余計に深くえぐられるACを
私は見てきています。

ACを深く理解できるのはAC。ただ…

一方でそれでもACはゆっくりでも
その傷を乗り越えて、自分の人生を
少しでも生きやすくしたい思いは
持っているんです。

ACのこころの傷は、ACでしか深く
理解をすることは難しいかもしれません。

ただ、難しいのは
ACとして育った方がカウンセラー
などの専門家になった場合
ACへの真のサポートにつながるか?
というのはまた別の話。

深い共感はそれだけでも
癒す効果が期待できますが
生きやすくなるための問題解決は
共感だけでは無理です。

なぜなら共感はカウンセリング技術の
ひとつであって、生きやすくする
サポートにはそれ以外の技術も必要だから。

うん。話が広がりすぎる懸念があるので
ここまでにしようw

ボーダレスが必ずしも良いとは限らないもの。

生きるって難しいですね。

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