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記録_9_8_thu_2022_1142_1426

<筆舌し尽くせないそれと集団の中にいながら集団の外にいられる人々と、私という場。その場における私の深呼吸>

1142 /// 昨日の記録の感情がずいぶん自分自身の背骨に居つきました。 / 客観性を保とうとする私なので、今日も視点を変えて筆舌し尽くせないそれに向き合う私を記録しようとするところなのですが、いったん視点の転換を止めてみます。 / 集団の中にいながら集団の外にいられる人々がいる可能性がある、ということは私の生活を、私の身体をかなり確かなものにしたからです。 / 今朝はずいぶん寝つきが良かったのです。 / 筆舌し尽くせないそれとともに私の背骨に居つくことが出来る集団の中にいると同時に外にいられる人々。 / 私も含めての三者、三角が出来上がり、そういえばそれは場になります。 / それぞれはそれぞれに干渉しようとしないことで場が成立していると感じるので私は記録としてたたずみます。 / 私が記録として佇む。 / この記録は佇んでいます。 / 何度か書いていますが、誰かに読まれる可能性がある状態で、読まれる誰かに働きかけません。干渉しません。 / 私の記録は、私の生活の中でじっとしています。 / じっとしている私の記録は筆舌し尽くせないそれをそれ自体として成り立たせています。 / じっとしている私の記録は集団の中にいながら集団の外にいられる人々にただ、存在を示します。 / 筆舌し尽くせないそれと、集団の中にいながら集団の外にいられる人々の関係性について、私の目線から記録出来ることがありますが、今日は時間が足りない。 / それでも確かに、三者は場を作っています。 / 私自身が、夏の終わりから秋を通り越してまだ始まっていない冬を想い起こすので、この場というものは、丁度今の時期からその回転を速める気がします。 / 三者が作る場は巡ります。 / 私自身が私から離れてこの三者の場を観たとき、この場は映写機のように、三者が一コマずつ照らされて映る状態で理解される可能性があります。 / 目線が少し俯瞰になりました。シーンを変えて私に立ち戻ります。 / そういった場の中にいるとひとまず理解された私における呼吸、具体的な呼吸と同じく寄せて返す、繰り返される精神的な呼吸が整理されます。 / 吸うときには、集団の中にいながら集団の外にいる人々のカットバックが加速度的に展開していき、一対のたばこで黒ずんでいるであろう肺は空気で満たされます。 / 吐く寸前のスローモーション、人々の息がふと止まる。見上げたりしている。放った野球ボールの放物線の頂点はすごく静止に近い。 / それは最もエネルギーに満ちている静止です。 / 満ちた肺は収縮を始めて、それぞれのカットバックのシーンを加速度的に終わらせていきます。 / 畳まれる感じで終わっていくのは、それは筆舌し尽くせないそれに向かって私の身体が巡っているということなのでしょう。 / 息をすっかり吐き終わったときに、筆舌し尽くせないそれが最後のスローモーションで映るときに、私は形のある無になるでしょう。 / ただの、筆舌し尽くせないそれの入れ物に過ぎない。 / 深呼吸をします。 / その深さは肺の運動だけではなくて、その心の動かし方、巡らせ方に及んでいるからこそ深い呼吸になるように見えるのでした。 ///1426

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