最初の読者である「私」が、ちゃんと頷けられるものを
短い物語を書いている。
「ご自愛」の連載小説とはまた別で、1500字〜2000字程度の話だ。内容もガラッと違っていて、今回はちょっぴり悲しい物語だと自分では思っている。
ようやく納得のいく結末ができて、これからブラッシュアップを進めていく状態。
ブラッシュアップに向けて頭から読み返したときに、「うわあ、これ悲しい話だな」と感じて、少しだけ嬉しくなった。
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ーーいやいや、書いた本人が「悲しい物語」だと感じるのは当たり前なのでは?
そう思うんだけど、改めて読んでみたときに、ちゃんと「うわ……なんか切ない」と自分自身が感じられるって、結構大切だと思うんだ。
というのも、文章を書くときには「読んだらこんな気持ちになれたらいいな」「こういう感情を抱いてもらえたらいいな」など、伝えたいテーマによって理想のゴールを作者が設定する。今回の私の場合は「悲しい・切ない」だ。
ただ、実際に書いてみると「これ本当に悲しいんか?」「切ないんか?」という状況に陥ってしまいがちだ。
頭の中ではゴールのイメージができているけれど、いざその感情を表現するとなると、とても難しい。余分な表現が多くて感情移入できなかったり、説明が少なくてピンとこなかったり。
塩梅が難しい。
なので読み返したときに「全然悲しくない」と思うこともしばしば。そうなると一から作り直さないといけないから大変だ。自分がイメージしている気持ちをその通りに落とし込むって本当に難しい。
だからこそ、時間を置いて読み返したときに、自分がちょっぴり落ち込んでしまうほど感情が動いたのなら「今回頑張れたんじゃないかな?」と思う。
書いた本人が最初の読者でもあるから、本人が「なんかうまく言葉にできないけど、切ないわこれ……」と思うのであれば、理想のゴールに向かって進めているんじゃないだろうか。
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私が書いた物語が良い・悪いかは分からない。
でも、これまでちょこちょこ書いてきて、自分が書いたものに喜怒哀楽が動かされる経験は貴重なので嬉しかった。
物語の最初の読者である私が、「よし」とちゃんと頷けられるような文章をもっと書いていきたい。自分が頷けられていないのに、第三者が頷けるわけがないからさ。
読み返すとき、構成や誤字脱字、表記ばかりに目が向きがちだけど、自分の感情はどうなっているのかも観察したいな。
最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪