仕事のための文章、自分のための文章
ライターとして書く文章の量が多くなったとき、だんだんと自分のための文章が書きたくなってくる。
文章を書く仕事ができることは非常に嬉しい。体力や気力が続く限り原稿と向き合っていたい。
しかし不思議なもので、ライターとして書く量が増えると、私はnoteに、日記に、自分のための文章を書きたくなってくる。
腕はとっくに疲れているし、考えることも今日はもうやめにしたい。とりあえずヒートアップした頭を冷却させるために、冷えピタを貼って眠りたい。天井を見上げてボーッとしたい。なのに、無性にどうでもいいことが書きたくなるし、話を聞いてほしくなる。
そんなとき、私は「幸運だな」と思うのだ。
体も心も疲れているはずなのに、「書きたい」と思えるのは、幸せなことじゃないだろうか。
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もちろん、仕事のための文章と、自分のための文章は違う。後者は私にとっては趣味みたいなものだから、疲れていても「書きたい」「書こう」と思えるのかもしれない。
ただ、「文章を書く」という行為は一緒だと思うから、その行為を「やめたい」と思わないのは非常に良かった。
多分私は「書く」ことが一番好きで、きっと何らかの形で一生続けていくと思ったから。
一番の趣味を見つけた気がして、原稿の締め切りに追われながらちょっとだけ嬉しくなった。
まあ、究極は自分のための文章が仕事の文章になれば最高なんだけど……今はまだまだ難しいから、愚直に目の前の文章を紡いでいきたい。
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ライターをやりつつ、私のようにエッセイや短編小説など、創作にまつわる文章を目指している人はきっと多いと思う。
仕事のための文章と、自分のための文章をきっちり区別してしまうと、たまにしんどくなることもあるかもしれない。私も以前までは「自分のための文章が書きたい」と思って、自分のための文章(書きたいジャンルともいう)が書けていない現状にモヤモヤとしていた。
しかし、今はそう思うたびに、「私って文章書くの好きだな〜」と褒めるようにしている。
頭をフル回転させて構成を作ったり、しつこいくらい音読をして推敲を重ねたりしている私。十分疲れているはずなのに「自分のための文章を書きたい」と思えるって、すごいじゃん。「好き」って気持ちめちゃくちゃ持っているじゃん、と。
これだけやっていても飽きないのなら、きっと一生続くんじゃないだろうか。一番の趣味が自覚できたことに、ちょっとだけ嬉しくなった。
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今日も腕は疲れている。
疲れているけれど、やっぱり書いていると楽しい気持ちになってくる不思議。
この楽しさが、明日の私をつくってくれる。
最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪